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梅之ゆたか著
小説ファンタジー詩集歌集
神代水の衣夜桜

神代

天と地を、神が自由に行き来した時代があった。その時代、神は人とともにあった。火を吹く山々には硫黄の煙が立ちのぼり、大地はしばしば震えた。緑なす山深い岩間からは清水が溢れ、山裾で湖となり、湖は幾筋もの川となり、海へと還った。
人は神を畏れ、神に従い、神に親しんだ。神は人を慈しみ、人を導いた。しかし、神と人の共存は終わりの時代にきていた。
「ねえ、かあさま。あそこに誰か倒れているわ。どうしたのかしら。」
「何をお言いかと思えば。あれは山向こうの深山の神でいらっしゃるよ。休んでおいでのようだから、邪魔をしてはいけないよ。」
「なんで、深山の神がこんな人里においでなの?どうかなさったのではないの?」
「それもそうだけれど。お邪魔になっては申し訳ないし。お近くまで行ってご様子をうかがったりしては、目を覚ましておしまいになるかもしれないよ。」
「わたしがそうっとお近くに行ってはいけない?わたしなら、ほんの少ししか足音を立てないで行けるわ。お声をかけずにご様子を確かめてくるだけ。ご病気だったらお役に立てるもの。」
「そうだね。もしご病気なら、お役に立たなければ。わたし達をいつも見守ってくださるのだから。」
「ええ。じゃあ、そうっと行ってくるわ。」

神は、ちょっと起き上がるのが遅かったかと苦笑し、母娘が行ってしまってからにしようと、眠った振りをしておられた。久し振りに人里に下りてきたので、心地良い小春日和を楽しもうと、大地でのんびりと昼寝をしてしまった。一眠りしたのでもう起き上がろうかと考えていたところに、娘と母親の会話が聞こえてきたというわけだ。要らぬ心配をさせてしまったな。
娘は足音を忍ばせて、そうっと神の近くまで寄ってきて、心配そうに神の顔を覗き込んでいる。
神は素知らぬふりで目を閉じていたが、少々面映ゆいし、この優しげな娘の顔を見てみたくなった。いい加減にして向こうに行ってくれないと、本当に目を開けてしまいそうだ。あの涼やかな声ならば、さぞやと思えてしかたがない。
そんな神の気持ちにもかかわらず、娘は一向に離れて行く様子がない。神はやはり娘の顔を見てみようと思われた。

「わたしの顔は気に入ったかな?」
「・・・きゃっ!あ、あの、申し訳ありません。深山の神。ご病気ではないかと思ったものですから。休んでおいでだったのですね。」
「ああ、そうだよ。要らぬ心配をさせてしまったようだね。」
「まあ、まあ、どうしましょう。折角お休みになっていたものをお起こししてしまって。かあさまに叱られてしまいます。」
「そうかい?気にすることはない。春の風が心地良いので、ちょっと休んでいただけだから。」
「こんな遠くまでおいでになったのでお疲れになったのではありませんか?」
「疲れる?ああ、大丈夫だよ。わたしは疲れることはない。思うだけで山にも、天にさえも帰れるのだから。」
「まあ、そうなのですか?」娘の瞳には純粋な憧れが浮かんでいる。
「空を飛ぶのはどういう気分か、と考えているのかな?」
「はい、あ、いえ。そんな恐れ多い。」
「飛ばせてあげようか?」
「えっ・・・。」
「おいで。」「あ、でも・・・。」
「君の名は?」
「あ・・・、カナエ、と申します。」
「では、カナエ。わたしが誘っているのだよ。涼やかな君の声を楽しませてもらった礼だ。気にするほどのことではない。」
「はい、深山の神。かあさま。行ってまいります。」
神の手を取ると、体がすうっと軽くなり、大地の上に並んでいるかのように神とともに空にあった。
「まあ、いつもこのように飛んでおいでなのですか。」
「わたしはものぐさかな?そう、いつもこうやって飛んでいるよ。」
「まあ、申し訳ありません。余計なことを申しました。」
「気にすることはない。わたしも楽しんでいるのがわからないかな?」
「まあ。」
「まあ?」
人はこうあるから可愛い。人々は素朴で美しい。深山の神は人の純朴さを好いておられた。人の世界が、そんな人々ばかりではないにしても。

「おからかいになったのですね。知りません!もう・・・。」
「すまない。このように心安らぐのは久しい。君のお陰だ。」
「まあ、ありがとうございます。お休みのお邪魔をいたしましたのに。お怒りではないのですか?」
「怒ってなどいないよ。さあ、景色を充分に楽しむといい。」
「はい、まあ・・・!大地はこんなに大きく広いのですか?それに、何てかぐわしいのでしょう!」
「ああ、実に香しい大地だ。今は春、全てが芽吹く季節だからね。」
「ああ、風と一つになってずっと遠くまで飛んで行けるなら、どんなことに出会えるのでしょう。」
そう語る娘の体が微かに透ける光に輝いた。神は娘の魂の気高さに打たれた。この娘は人の中にあって気高く清く、わたし達に近い魂を持っている。その姿も心も何と美しいことか。神は娘に大変心を寄せられた。傍に置いて共に、末永く共にありたい、とお考えになられた。

「カナエ。これは真実の名か?」
「はい、神に問われて、真実の名以外を申し上げることなどございません。」
「では、カナエ。わたしは君の気高さに触れた。その気高さに触れたために君を離すことができない。わたしと共に生きるか?」
「お傍に御仕えするのですね。」
「いや、わたしと共に永くありたいとは思わないか?」
「でも、わたしは人でございます。あなたは神でいらっしゃいます。」
「それでも、わたしは君と永く共にありたい。君の本心が知りたい。カナエ。君はどうしたいか?」
「ああ、神よ。真実の名でわたしの答を言わせるのですか?」
「君に無理強いをしたくない。さあ、カナエ。答を。」
「神よ。深山の神よ。わたしはあなたと永く共にありたいと思います。」
「ありがとう、カナエ。わたしの真実の名は武雄彦だ。この命のある限り、わたしは君と共にいよう。」
「武雄彦。わたしも、この命が尽きるまであなたと共におりましょう。」
「わたしはもう天に帰らず、この地に根付き、深山の神としてのみこの大地にあろう。君と共に。」
「わたしも、あなたと共に生き、地に眠った後もあなたと共にありたいと思います。」

以後、深山の神はカナエとともに深山に根付いた。天の神々は嘆き、怒ったが、深山の神は帰らなかった。
カナエとともに深山に根付いた深山の神は、子を作り、その子は子を産み栄えた。その血を継ぐ一族は増えたが、神の血は人の中に薄れていった。
神は深山にあってその満ちる様子を見ていたが、人の世にあったがために、300年の後に没した。カナエはその妻であったために、人でありながら150年を神とともに生きた。

神々は、これ以上の神々が大地に根付くのを恐れ、大地に下りなくなった。人は、神を慕って社を国中に作り、宴をして、神々を大地に呼び戻そうとした。神々は人を哀れみ、年に数日の祭のときにのみ、天より地に下りるようになった。
深山の神の一族は、三觜の名の下に、稀有な陰陽師の家系として、長く人に畏れられた。しかし、長い年月はその血を薄め、力も尽き、名ばかりが残った。ただ、時に、神の血を濃く表すものが出るに止まった。


後書 まさに昔話の域です。こういう静謐な感覚で現実を眺めると、とんでもない世の中だというのを実感します。ちゃぶ台返し!なんて引っくり返すと後始末が大変でしょうが、何とかならないものでしょうか。そう、神様が現れてくれれば!思いっきり他力本願ですが、キーを打つのが精々の身なのでお許しあれ。(^ ^;)


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