人も社会も矛盾と欺瞞に満ちていて、「ばかやろー!」と大声で叫びたくなる。叫べる環境などないから、文字で発散しようと書きとめる。それで気が済めばそれに越したことはないけれど、それですむことの少ないことといったら・・・。多くの人が人としての道を説く。人の道が人を人たらしめているということに異議はない。思いやりや優しさを失くしたなら、人は人といえるだろうか。人は何のために地に満ちたのか。 |
詩の形はこうでなければならないなどと決まってはいない。人の感動を、感情を、ドロドロとした思いを、和らかく包みながらも強く訴えようとする、それが詩歌になったのだから。日々を取り留めなく綴れば日記になり、理論で綴れば評論やコラムになる。自然や物事に例え、リズミカルで象徴的で、これは詩だといえば、それは詩といえる、それで良いのだろう。思いつくままに、あるいは、取りとめもなく、歌うように、泣くように、怒るように、畏れるように、時々の心の動くがままに。文字にしていくと、不思議に落ち着いてくる。それにつれて、頭の中も整理されていく。どうせ思いのたけを込めるなら、ただただ怒りや嘆きの言葉を並べるよりも、言葉を選ぶ詩人の気分でも味わうほうが、少しは心地良いかもしれない。 |