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梅之ゆたか著
小説ファンタジー詩集歌集
神代水の衣夜桜

夜桜

時は平安の春、筑紫の国のさる豪族の館は、折しも都の勅使の御到着で賑わっております。
実に華やかな日でございました。御一行のために宴が催され、皆、少しでも都のお話を耳にしようとしておりました。宴では、その豪族の館から少し外れたところの館に、それは見目麗しいと評判の姫君がおいでだというので、勅使の御一行の間でもお噂にのぼっておりました。
その春の穏やかな日も暮れ、夜はまだ冬の名残が感じられます。そのせいでしょうか。まだ夜も更けていないというのに、家の者は言うに及ばず、草木までもが寝静まっているようでございます。今宵は月も明るく、夜桜もその美しさを一段と誇っているようでございますのに、惜しいことでございます。
では、宴で噂の外れの館はと見れば、他の者は皆とうに寝てしまいましたが、ただ姫君がお一人、庭のきざはしに出ておいででございます。人目のないのを幸いに、月と一緒に夜桜に見惚れて、時を忘れておいでのようです。月明りに浮かぶ夜桜のあまりの艶やかさに、ため息をつき、訪れる人のない身を憂えておいでになります。

月はこれほどに桜を艶やかに咲かせているというのに、わたくしには訪れる方もない。月明かりに浮かぶ夜桜に誘われ出でたものの、なんとさびしいことでしょう。
きざはしに匂ふ桜のほの白き
月のかかりて端に寄らせたる
 
夜桜の羨ましいこと‥‥。私にも誰かそういう方がいてくださればよいのに。そうであれば、寂しい夜を過ごすこともないでしょうに。
明くるまで月の守りの夜桜や
身もしさりなむたれとは知らず
夜も更けてまいりました。姫君がただお一人、きざはしで夜を明かされるとは思われません。優雅に奥の寝間に向かわれるご様子は、思いのほかお疲れのようにも見受けられます。
横になられたその時に鎧戸がかたりとなりました。気のせいでございましょう。夜も更け、皆寝静まっておりますもの。姫君も、わたくしにはおとない人はないのだからとお思いになって、また枕に頭をお乗せになり、うとうととなさっておいでです。
すると、今度は風が入ってまいりました。さすがに身体を起こされますと、ふいに、壁かと思えるほどに硬く大きな身体に押さえられておしまいになりました。

「月がなければ、庭の桜の精と思ってしまうところでした。春の風よ、そよとも吹いてくれるな。ここにあるのが桜の花ならば、わたしこそが風となってこの手で散らせるのだから。」
月なくば庭の桜にまがひけむ
そよともなしそ吾こそ手折らめ
どうしたら良いのかなど思いめぐらす間のあろうはずもございません。世の習いで、男は夜の明けぬうちに帰りましたが、勅使の御家来に仰せつかった使が、朝早く文を届けてまいりました。

桜と夜を過ごした月のように、あなたと一夜をともにいたしました。末永く共にできますならば、これからの毎日をどんなにか優しい気持ちで過ごせることでしょう。
月を背に桜を袖に見るなれば
日のうつろひのいかに優しき
ところが後朝の歌を寄こしたというのに、男はそれきり訪れもせず文も届けてまいりません。もちろん、三日夜の祝いもないままでございます。姫君の桜を見る目には、いつ涸れるとも知れぬ涙が溢れ、男に恋い焦がれておいででございます。
とうとう、明朝には勅使が旅立たれるという日がまいりました。せっかくの満開の桜までもが、折りからの春の嵐に散り初めております。
咲き誇っていた桜も散ろうというのに、なぜ訪れてはいただけないのでしょう。思い煩うばかりで幾日も無駄に過ごしてしまいました。涙は春の嵐が隠してくれるであろうし、雨に濡れてみるならば、この焦がれる心が少しは冷めるでしょうか。
桜となり風もろともに地にしかば
煩ふことのありとは見えず
 
その夜も更けたころ、姫君の待ち焦がれた声がいたしました。
「心ならずも貴女に儚ない思いをさせてしまいました。しかし、すぐにもあなたを妻にしたいが、そうもいかなくなってしまったのです。」
「実は、都におります親が、わたくしの妻と定めた姫を家にお迎えしてしまいました。大恩ある方のお頼みですのでお断りすることもできず、いまさら実家に帰してはその御方の身も立ち行きません。」
「この地は都にほど遠く、このうえは、あなたをお連れするつもりでおりましたが、そんなわけでお連れすることができなくなってしまいました。それでもなお、想いのあまりに訪れてしまいました。」
男の言葉をじっとお聞きになっておられた姫君は、悲しんでお嘆きになるばかりでございます。
「ああ、何としたことでしょう。このままみすみすお帰りになるとは。」
「それは、わたくしとても同じ。しかし、親を捨てるなどできようはずがございません。心配して訊ねてくれる者もありましたが。傍目にも思いが出ていたらしうございます。もう明日はなく、いてもたってもおられずお訪ねしましたが、お別れするほかはありません。」

明けて目覚めると、散り惜しんでいた桜を扇に添え、文が残されておりました。

今を盛りと咲いていた桜も、散り果てて葉擦れの音をさせるようになりましたが、決して行きずりの恋などではありません。唯一無二の信じられないような恋、人生で最上のひと時でございました。
霞みてし桜も葉擦れの音となり
無二のまぼろし一のときぞ
どう言いつくろおうと別れは別れ。悲しくも、恨めしくもある。桜もとうに散り木々の緑も晴れ晴れしくあるものを、姫君は男恋しさのあまり、病にお倒れになりました。
そのうちに、夏のころとなり、病の癒えぬまま無念のうちにお亡くなりになったのでございます。折りしも、男が別れを告げた宵のように、夏とは思えぬ冷たい雨の日でございました。三途の川もその雨では、さぞお寂しかったことでありましょう。
野におきし忍ぶもぢずり身を細み
雨に隠さず濡れゐたるらむ
あまりに惨いご様子に、周りの者は皆涙するばかりでございました。口惜しうございますが、いつの世も、女は男の身勝手に振り回される定めのようでございます。次のいずれの世にか地にあり人に生まれ女となるならば男をこそ、と心に決めたことでございます。


後書  和歌に触れてからというもの、思いの丈を込めた恋の歌をいつかは詠んでみたかったのですが、その機会はなく、非現実の世界で実現させました。
昔のありふれた恋模様ですが、女性に対する呆れるような扱いには絶対に甘んじたくありません。また、実際には、十二単が重くて身動きも難かしく、ゆっくりと動くしかなかったのです。
しかし、それはそれ、十二単に身を包み歌を詠む優雅さには、シンデレラコンプレックスを十分刺激されます。


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