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梅之ゆたか著
小説ファンタジー詩集歌集
概要・登場人物: 櫂はあるけれどあるが儘におやくっさま
和裁教授縁談沙智子五人の男の子正夫佐吉遺産相続挽歌

挽歌

数年があっという間に過ぎていった。正夫が家を出たからといって、生活はそれほど変わることもなかった。何しろ、遺産の一件以来、家にほとんど寄りつかず、生活費も全く入れなかったのだから。
真沙子は初孫の女の子を産み、次こそは、と言っていたが、また女の子だった。今の時代はいい。あのご主人もいい。わたしも、男子を産まなくても役立たずとは言われないですむ時代に生まれたかった。わたしの母はそれを理由に離縁されたのだから。
次女の美沙子も何とか結婚して男の孫が二人できた。あの子は男腹やろか、と苦笑する。向こうの家は男の子が少ない家系らしいから、男の子を産んだお陰で、前よりは良くしてもらっているかもしれん。あまり上手くいっていないようだったから、鼻が高かろう。真沙子など、あからさまに妬んで、美沙子に会う度に嫌味を言うのだから。
後は、正也が嫁をもらってくれさえすれば、安心して老後を送れるのに。当の正也は、結婚など考えてもいないらしい。今の時代は、三十になっても結婚しない男が多い。昔は考えられなかったが、時代も変わったものだ。戦争に負けて、アメリカの考え方が入ってきたからだろう。

そんなある日、町内の老人クラブから声がかかり、この土地を離れることはもうないだろうと、少々早いクラブ入りをさせてもらった。クラブに入るには年齢が足りないのだけれども、一人身の佳菜を案じて、誘いをかけることになったらしい。こういう融通が利くのが田舎の良い面だ。とはいっても、最初の頃はやはり気後れして、何度か誘われたら顔を出すくらいだった。それが、ある日訪れた美沙子の一言で変わった。
「お母さん、バス旅行になんてよう行く気になるねえ。今まで行ったことないやろ?一人で行くん?誰か友達と?」
「・・・いや、町内の老人クラブの人たちと一緒に行かせてもらいようったい。」
「へえ!でも、老人クラブやったらお年寄りばかりやろ?話しが合わんのやない?」
「ちょっとはそうばってん。カラオケもあるけん、歌ばうとうたりして結構楽しかよ。」
「カラオケ!ああ、お母さんの声、可愛いかもんね、細うて高い音が綺麗で。わたしの声は低うて高い声が出んけん男んごたあし、羨ましかよ。」
「・・・そげえね?老人クラブのカラオケの練習会にも行くばって。」
「わあ、すっご〜い!皆からもわたしと同じこと言わるうやろ?お母さんも今から楽しまなね。いやな目にばっかおうてきたとやけん。」
「それに老人クラブに入れてもろうたとばい。年がちょっと早かばってん。もうこの町ば出ていかんとやけん。」
「・・・良かったやない。もっと早う、少しでも若い時に楽しめりゃあ、もっと良かったとにね。」

美沙子の言葉につられて、つい色々としゃべってしまった。最近はいつもそうだ。心から言ってくれているので気が緩むのだろう。真沙子は、結婚してからは一段ときつい物言いをするし、うっかりすると延々と説教と愚痴が続くのでたまらない。
子供達も何とか自分でやっていけるようだし、老後の蓄えも少しはある。ここにきて、佳菜はやっと自分の時間が持てるようになったのを実感した。最近はカラオケやバス旅行などにも出向くようになり、すっかりご隠居さん気分に浸って集まりを楽しむようになった。夢にまで見た穏やかな日々が緩やかに過ぎていった。
もう一つ良かったのは、クラブで年に一回、町役場の援助で健康診断が実施されることだった。父の佐吉も祖母のナミも胃癌で死んだから、佳菜も健康診断を欠かさないようにしていたが、わざわざ気をつけなくても診断の日の通知が来るから有り難い。現代は、早期に発見すれば、癌でも死なずにすむことが多い。そのためにも健康診断は欠かせない。
大体、毎年、木の芽時の終わり頃、梅雨前に実施されている。木の芽時は病気になりやすいというから、その時期に合わせたものだろう。クラブの健康診断は二度目だったが、今年も、その結果がもうそろそろ届く。佐吉も祖母も高齢になって癌になった。今まで大丈夫だったからといって、今度も大丈夫とは限らない。年を取る度に不安が大きくなり、届いて確かめないと落ち着けそうにない。
この頃は雨の降る日が多い。そろそろ梅雨かしら。買い溜めしておいたほうが良いかもしれない。今日は特売で安いのがいくつかあったから買ってこよう。仕立物で忙しくて、つい同じようなおかずばかりになってしまって、正也が、またか、なんて顔をすることも多いようだし。
しかし、一旦出ると、あれもこれもとなり、両手に持ちきれないくらいに買ってしまった。今は正也と二人きりだというのに。まあ、正也が食べ尽くしてくれるだろう。あの体のどこに入ってしまうんだか。男の子はよく食べるものだとは言うけど、未熟児で生まれたなんて言っても誰も信じないかもしれない。よく育ってくれたものだ。
家にやっと帰り着くと、郵便受けに大きな封筒が見える。ああ、健康診断の結果が来たんだ。少し緊張した気持ちになるのは仕方ないか、と苦笑する。癌が来るのを待っているような気がすることもある。遺伝はしないというけど、体質は遺伝するのだから、遺伝するのと同じではないか、とも思う。

荷物を片付け終えて、やっと封を切った。診断書には、『精密検査を要す』とあり、精密検査の受けられる病院名が書いてある。ああ、やっぱり、と目を凝らす。自分は父や祖母より早かったのか。胃癌なのは同じだけれど。すぐに検査を受けよう。一番行きやすい国鉄の駅の近くの市立病院がいい。あそこなら、電車でもバスでも行けるから通院に便利だし、大きい病院だから安心できる。そういえば、孫の由香が行ってる看護学校もあそこだから、学校の合間には見舞いに来てくれるだろう。
電話をかけると、運良く検査予定に空きがあり、三日後の午前九時に予約できた。しかし、そのたった三日は何週間にも思えた。その代わり、検査で初期の胃癌と診断されたときには、癌になったことを受け止める覚悟もできていた。手術への躊躇もなかった。初期の胃癌は手術で簡単に完治するのだから、なんて運がいいのだろうと思い、早期に発見できたことに感謝さえした。

入院後、検査が済むと、すぐに手術になった。術後の回復も順調で、佳菜は意気揚々と退院した。しかし、退院して数日後、激しい痛みに襲われ再入院した。古い手術痕の癒着があるので再手術が必要とわれたが、誰もが納得がいかず、詳しい説明を要求した。しかし、それ以上の説明はなかった。楽観視できるはずの初期の胃癌の手術が、こんな結果になると誰が想像しただろう。
結局再度の手術が行われたが、その手術で佳菜は体力を使い果たしたようで、術後の回復ははかばかしくなかった。そのうえ、失敗を取り繕うように、その後二回も立て続けに手術がなされた。信じられないことに、二、三ヶ月の間に四回も手術されたことになる。それでも、医者の言葉は絶対だった。

佳菜の体力と精神力は限界を超えた。うわ言のように「殺される」と言い続けた。美沙子が遠方から見舞いに来たときには、「病院を変えて。助けて。」とまで言った。美沙子が真沙子に詰め寄ると、真沙子は冷たく言い放った。
「あんた、何の権利があってそげなこと言うと?看病もせんくせに!うちの由香がここの看護学校に行きよるとよ!そげなことできるわけなかろうが!」
「そのために、娘が看護学校に行きよるけん、お母さんば見殺しにすると?」
「何がわかると!あんたなんかに!看病の一つもせんでから!しよるとはわたしばっかりやろが!」
「ばってん!わたしは誰にも子供を預けられんし!向こうとは上手くいっとらんき・・・でも、お母さんの命は!」
「あんたに何も言う権利なんかあるね!何もせんでから口だけ出さんで!」

言い合いに負けた美沙子は、どうしようもなかった。婚家とは上手くいっていないどころではなかったから。もう離婚まで秒読みの段階だったから。堕胎しろと迫る夫と婚家に、不妊手術を受ける条件で、堕胎せずに産んだ三人目の子供が、まだ一才だから。
姉ちゃんが、わたしには何も言う権利がないて・・・。何も聞いてくれんとよ!ごめんね。お母さん。わたしには何もない!空の通帳と守らないかん子供達しかないき。何とかしたい、すぐにでも連れて行きたい。けど、できない。なら、母と看病している姉と仲違いさせることもできない。お母さんが余計に苦しむ。美沙子は佳菜にその運命を言い渡すしかなかった。
「お母さん、ごめんね。このまま、ここで治してもらおう?お医者さんも、ちゃんと治そうて、頑張ってくれよるき。」

佳菜は絶句した。美沙子は最後の頼みの綱だった。自分はもう起き上がることもできない。真沙子は、娘の由香がここの看護学校にいるから、聞こうともしない。いや、ひょっとして、交換条件で・・・。そこまで考えて、その考えの恐ろしさに、考えるのをやめた。美沙子の顔を見ればわかる。真沙子に言ってくれたのに言い負かされたのも、勝てるわけがないのも。でも・・・。
ああ、美沙子は向こうの家と上手くいってないんだ。この子は来られるのなら来てくれる。できるのなら絶対にやってくれる。元気になればこの子を助けることもできるのに、この子はこれからどうするんだろう。誰も助けてはやらないだろうに。でも、もう助かる見込みはない。まだ正気なのが不思議だ。美沙子が病室を出て行く。「また来るね、お母さん。」すまなそうな声の後、病室の扉が閉まった。佳菜の希望も砕けた。わたしは殺される!

その時から、佳菜は自分が自分でなくなるのを止めようとはしなくなった。そして、徐々に自分を喪失していった。美沙子が次に見舞いに行くと、真沙子が看病しに来ない美沙子を責めるように言い放った。
「お母さんは、もうあんたが誰かもわからんよ。頭がおかしくなっとうけん。」
美沙子は絶句した。わたしのせいだ。わたしが助けなかったから、絶望して!しかし、病室に入ると、佳菜は美沙子がわかった。殆ど意識がないようではあるが。いつもは気が触れた振りをしているのだろうか?いや、全く正気を失ったわけではないんだろう。毎日毎日がどんなに怖かろう!
まだ間に合うなら、助けたい。力がほしい。お金がほしい。親も助けられんなんて!姉ちゃんが許せん!自分が許せん!何であんな男と結婚したんか!誰でもいい!今、助けて!
佳菜は数ヵ月後に永眠した。美沙子は佳菜の遺骨を壷に収めながら思った。ごめんね、お母さん。親にこんな死に方をさせてしもうて。武志さんと、死んだ子供とも、会えた?会えんやったら、あんまりや。わたしは姉ちゃんを絶対に許せん。あの時なら、あの時転院してたら、せめて殺される恐怖に苛まれずに死ねたのに。子供達がおらんなら、こんな世の中、未練なんかこれっぽっちもない!ばってん、死んでも合わす顔がないが!
ふと気づくと、骨壷を抱えた正也を先頭に、皆、外に出るところだった。正也、この弟はまだ結婚もしていない。あの姉と渡り合えるだろうか。わたしが子供との生活も危ない状態でなければ、一緒に住もうと言えるのだけれど。今それを言うと財産目当てと思うだろう。財産は全て正也にいくのだから。それを思えば、正也の方がわたしより楽なのかもしれない。
実際、生活していく当てはない。仕事を見つけないと。健康にも気をつけなきゃ。こんな世の中に、子供達を置いては死ねん。お母さんも同じやった?家のために産んだ子供でも育てたもんね。もう、一人だけ庇ってくれてたお母さんもおらんのやね。もう、姉ちゃんになんか会いとうない。誰も頼れんのに一人になるのは怖い。でも、わたしも必死に育てるよ。お母さん、ごめんね。本当にごめんね。

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