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Mosaic Box
梅之ゆたか著
小説ファンタジー詩集歌集
概要・登場人物: 櫂はあるけれどあるが儘におやくっさま
和裁教授縁談沙智子五人の男の子正夫佐吉遺産相続挽歌

五人の男の子

三人目も女の子だったが、跡継ぎの男子が生まれるまで子供を産まなければならない。
次の子を妊娠したとわかった時は嬉しかった。しかし、お腹が大きくなり始めると、日に日に痛みが激しくなった。産婆が子宮外妊娠ではないかと言うので、病院に行くと、すぐさま入院させられた。男の子だったと聞かされた。佳菜も正夫も不運を嘆いたが、希望も感じた。しかし、佳菜の体調が戻るまで、当分子供を諦めるしかなかった。
その間も、娘達は貧乏にめげず育っていた。
真沙子はいかにも長女らしく采配をふるい、他の二人を従わせようと躍起になっている。美沙子は、最初こそ顔をしかめながらも従ってはいるが、飽きてくると、逃げずにどっかと座り込み、真沙子の小言を無視するストライキに入る。沙智子はおとなしく従うことが多いが、時として、何を言われようがされようが巌のようになる。
次女は姉のいかにもな小言に顔をしかめ、無視が一番と思っているようだ。沙智子を庇うこともあるが、沙智子の方で庇わせてくれない。かえって沙智子の行動に追随しているように見えることさえある。本人はそんなつもりではないのだろうけれど。
三女は楚々としておとなしいが、こうと決めると、良かろうが悪かろうが頑として聞かない。その頑固さに、近所の大人たちも頭を振っている。『ひきつけ』さえ起こさないなら、愛嬌も器量も、頑固さなど気にならないくらい、三人の中で一番いい。
育ち盛りの娘達がいるお陰で、家の中は、悲しみに沈む間もない。貧乏でも、笑い声の絶えない、賑やかでかしましい日々に明け暮れ、数年がいつの間にか過ぎた。
医者の許可が出て、、四人目を妊娠したときは、近くの神社で、男子でありますようにと、夫婦して願をかけた。生まれた子は男子だった。しかし、喜ぼうにも、生まれたその子は息をしてはいなかった。佳菜は忍び泣き、正夫は呆然とした。
それでも、産まないわけにはいかない。間を置いて五人目を妊娠したときは、願をかけ、安産のお守りを買った。その甲斐あってか、五人目も男子だった。二人の喜びようといったらなかった。正夫は近所中に触れて回った。それでも、その子は、五日しか生きなかった。まだ役所にも届けておらず、命名に迷って名前も決まっていなかった。正雄は暗い押し入れに身を縮めて、隠れて泣いた。
葬式の日、美沙子はお父さんが押し入れで泣いているのを見た。近所の大人たちが集まってきた。美沙子には可愛い赤ちゃんがいなくなるのがわかった。もう赤ちゃんを抱けるくらい大きいのに、一度も抱いていない。だから、赤ちゃんがいなくなる前に、絶対に抱いてみたかった。赤ちゃんだって、お姉ちゃんに抱いてもらったら、死んでても、きっとうれしいもん。
「ねえ、お父さん。抱かせて。赤ちゃん抱かせて。」
「抱きたいっちゃ・・・。死んどうとぞ。」
「良かけん抱かせて。落とさんごとするけん。」
誰かが言った。
「よかやなかですか。美沙子ちゃんに抱かしてやらしゃったら。赤ちゃんな、ほんなごつなら、抱いてもらわるっとやき。供養になるばい。」
「んなら、ほら、落とさんごと。」
「うん。うぁー重たかぁー。赤ちゃんやー。赤ちゃん、赤ちゃん、重かね〜。」
美沙子は赤ん坊の顔をのぞき込んで、死んだ赤ん坊に話しかけた。その様子が、また周囲の涙を誘った。誰かが言った。
「可哀相に。死んだとがわからんっちゃね。」
「ほんなごつ」また、誰かが言った。
その次の六人目の子も男子で、数週間生きていた。七人目も男子だったが、生まれて一日で息絶えた。不運は続くというが、死んだ四人ともが男の子だった。男の子は育ちにくいという。それでも、夜鍋で仕立物をしながらの子育てと家事が、度重なる妊娠に負担になったのはあきらかだった。
八人目の子供を妊娠したときは、年も年であり、最後の出産にすべきだと医者から釘を刺された。有り難いことに、生まれたのは五人目の男の子だった。一ヶ月以上早く生まれた未熟児で、正夫の片手にすっぽりと納まるほど小さい。育つかどうかが危ぶまれたが、医者が、他所でその効果が非常に良いと評判の、新しい栄養剤を取り寄せてくれた。佳菜はすがる思いで、授乳の合間にそれを飲ませ続けた。
一週間が経ち、役所に名前を届ける名前を決めなければならない。名前は、正夫の一字を取り、今度こそ生きてくれるようにとの願いを込めて、『正也』と命名した。佳菜も正夫も感無量だった。やっと、男子の名前をつけることができた。貧乏だからと、娘達の時には省いていた命名の祝いをし、近所の人々に長男を誇らしげに披露した。

「おめでとうござす。念願の男ん子ばい。ほんなごつ、良ござしたなあ。」
「ありがとうござす。ほんなごつ、嬉しかですばい。うちんおなごの手柄ですたい。」
「なんがな、男が頑張らな、でくうもんもでけんばい。ばってん、こいからが、ほんなごつ楽しみたいな。」
「ほんなごつ、奥さんな、よう頑張んなったたい。」
「ほんなごつよ。大変やったばいなあ。ばってん、こいからばい。どんどん大きうなるきに。」
「ありがとうござす。えらい小さいけん心配したばってん、お医者さんが良か薬ばくれなったき、今度は良かごたあですばい。」
「そりゃあ、良うござしたたい。良ござした、良ござした。」
「なんかあったら、遠慮のうゆうてつかあさいよ。お互い様やきね。」
「ありがとうござす。ほんなごつ、皆さんにはお世話になってから。これからもよろしくお願いしますけん。」
正也は、栄養剤のお陰で、大した病気もせず、どんどん体重が増え、普通の赤ん坊の体格に追いついていった。そして、一年後には、その評判を裏付けるように、太りすぎるくらいに丸々とした、元気いっぱいの健康優良児に育った。それは、佳菜と正夫を大喜びさせただけでなく、医者までをも大いに驚かせた。医学の進歩によって、未熟児が死ぬことは、もう、滅多にないほどになっていた。

正也が大きくなるにつれ、誰か子守がついていないと危なくなった。子供たちは赤ちゃん返りする年齢ではないが、真沙子は勉強できないといっていつも子守をしようとしない。美沙子は嫌だと言うこともあるが結構よく弟の面倒を見ている。それがまた真沙子の癇に障るようで、「あたしはあんたと沙智子の子守をしたっちゃけん、今度はあんたの番たい!」と言って余計に子守をしないので、美沙子は宿題をする時間も遊びに行く余裕もないようだ。
真沙子は正夫にとっては初めての子だし、父の佐吉にとっても初孫同然だから、今まであまりにも可愛がりすぎたのかもしれない。正也がやっと生まれた男の子というので皆に可愛がられているのが、しかたないとは思ってもどうしても不満なのだろう。何度も、真沙子を特別扱いするのは良くないと思ったのだけれど。妻が夫に意見を言うなんてできはしない。
沙智子もよく美沙子と一緒にいるから自然に弟に目が行って、時々は美沙子の助けになっているようだけれど、沙智子だけに子守を任せるには幼すぎて安心できない。真沙子は何とかかんとか言ってしようとはしないし、美沙子がいないときや嫌がるときはしかたがない。美沙子は何でも口では嫌がっても、やることはちゃんとやるんだから。美沙子もたまには子守から逃れたかろう。そう思い、佳菜が仕立物の手を止めて子守をするしかなかった。
そんな時に、佳菜はふと考えてしまう。あの日から、沙智子を疫痢患者の家に見舞いに行くように言ったのが真沙子だったと知ったときから、佳菜はあまりに可愛がられる真沙子を、微かな不安を持って見ていた。沙智子があまりに利口だったから、わたしたち親も近所の奥さんたちも、沙智子をいつも可愛がっていた。真沙子は、あの日、あの時、皆が言ったように、本当にわからずに沙智子を行かせたのだろうか。沙智子が皆に可愛がられるのが憎らしくて、わざと行かせたのではないだろうか。
沙智子は疫痢からは奇跡的に助かりはした。しかし、頻繁に起こるひきつけの発作は少しずつ沙智子の脳を破壊し続けていた。当時、ひきつけは普通に育った大人の子供時代にも結構よくあった。それでも、一般には、それがもし癲癇の発作なら、癲癇は遺伝する精神病で治す方法はない、と思われてもいた。だから、誰も大したことじゃないという振りをし、あえて注意を払おうとはしなかった。
小学校にあがった当時、沙智子は知恵遅れの兆候は全く見えなかった。しかし、その知能は発作の度に少しずつ下がっていった。中学にあがってさえ、兆候は見えたものの、学力は並以上にあり、地元の県立高校に現役で合格した。疫痢にさえ罹らなければ、と、沙智子の知能を知る者は、誰もが親の嘆きに同調した。

高校では、学力はあるが知恵遅れの感が目立ち、顔立ちの良さもあって、男子生徒にからかわれ始めた。その頃から、それに対処できないのと思春期の不安定さとが重なって、癲癇特有の頑固さが高じ始めた。高校の二学年を終える頃には、入院を余儀なくされるほど、社会に適応できなくなった。それでも、沙智子の学力は中の下程度だった。沙智子が恐ろしく優秀だったのか。知能と学力が関係ないのか。
しかし、正夫には通学は到底無理に思えた。学校側は沙智子の学力を惜しみ、治療後の復学を勧めたが、正夫には、もう、現実に耐える気力は残っていなかった。正夫は学校側の勧めを断り、沙智子を退学させた。それからも、入院するまさにその日まで、佳菜と正夫が、沙智子に癲癇の薬を飲ませることはなかった。病院に連れて行ったこともなかった。

この時、癲癇は、もう『遺伝する精神病』ではなくなっていたが、それでも、佳菜も正夫も、他の二人の娘の将来を案じた。小さな田舎町では、あとの二人も間違いなく嫁に行けなくなる。親として、噂になることに耐えられなかった。未来がどう変わるかなんて、誰にもわかりはしないのだから。
例え、研究が進み、十数年後には、単なる精神病ではないことが明らかになり、世間の認識が覆されるとしても。敢えて薬を飲ませていたなら、薬を飲み続けることを除けば、普通の生活が送れることを実感できていたとしても。沙智子の精神が社会に適応できず、神経症を併発することを避けられたかもしれないとしても。

次女の美沙子などは、ことあるごとに持ち出されて、沙智子の利発さと比較して説教されていたくらいだった。親にとって、成長が楽しみな子供だっただけに、その苦悩は例えようもなかった。助けた医者の言葉ではないが、助けたことが良かったのか悪かったのか。だが、大抵の親なら見殺しになどできはしない。
佳菜と正夫がその代償を支払うときが来たのだろう。しかし、どちらにしろ、一番高い代償を支払うのは沙智子に違いない。本人が認識できないにしても。薬を飲ませないで生かすくらいなら、死なせた方が良かったのか。否、当人が生を望み楽しんだ時代があるのだから、生かしたことは最良の決断に違いない。
医学の発展は明日がわからないほど目覚ましい。惜しむべきは、医者に見せず、薬を飲ませなかったことだろう。それをしていたなら、沙智子の未来はどれほど輝いていたことだろう。

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