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ある日、仕立物を届けて家に戻ると、来客があった。声が聞こえた途端、誰の声かわかった。町に住んでいる仲人好きで有名な奥さんだ。何だか嫌な予感がする。多分、用があるのはわたしだろう。例え今逃げても、お膳立てはしっかり揃ってしまうだろう。父にしても、わたしに夫がいれば生活の心配がなくなるのだし。声の聞こえる部屋に行った方が良さそうだ。
つくづく、あの人さえ生きていてくれたら、と思う。どうも、ことある度に亡き夫の武志を思い浮かべる癖がついているようだ。武志が生きていれば、自分の人生はなんと喜びに満ちていただろう。天国で、死んだあの子を可愛がっているだろうか。あの子は父に甘えているだろうか。母がいないのがさびしくて、泣いてはいないだろうか。
そんなことを考えながら行って見ると、案の定、来客はその奥さんで、用件は、やはり佳菜の縁談だった。相手は養子に来るのを承知しているらしい。こんな家に養子に来ようなんて、物好きにも程がある。まさか何も知らないで家名だけで財産があると思っているのじゃないかしら。とはいっても、女ひとりで家を切り盛りしていくには、世間は厳しすぎる。
相手は親を亡くして、叔父夫婦に引き取られて育ったそうだから、自分の居場所などないのだろう。特攻隊で、明日は特攻というときに終戦になり命拾いしたというが、運とはそういうものなのだろう。かえって、そういう人間のほうが長生きするのかもしれない。
男振りも結構いいらしい。そんな男が6歳も年上の未亡人と結婚しようなどと考えるだろうか。何か変な癖でもなければ良いけれど。暴力を振るわれても、妻をどうしようと男の勝手なのだから。けれど、家を守っていくためには仕方がない。どんな人でもあの人には敵わないのだから。誰よりも私を大事にしてくれた武志には。
佳菜の返事は、はなから問題にされず、全てが瞬く間に整えられた。
養い親の叔父夫婦は大分の日田に住んでいるらしい。えらい山の中らしいが、その叔父夫婦が一ヶ月後なら出てこられるという。なかなか出て来られないというので、婚儀もそれに合わせて行われることになった。
しかし、いいのだろうか。このあばら家では、さぞがっかりすることだろう。
一ヶ月後、叔父夫婦を迎えて、簡単な内輪の式が執り行われた。この時ばかりは、近所の婦人会が炊き出しなどを仕切ってくれ、暗い戦後の明るい一日が演出された。
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二番目の夫、正夫との新しい生活は、佳菜の藁にも縋る期待を込めて始まった。しかし、やはり、期待していた生活の向上などないことを、すぐに悟ることになった。
正夫は血気盛んなうえに、結構な遊び人で、定職も持っていなかった。仲人口とはいうものの、結婚当時働いていたのは一時の日雇いに過ぎなかった。結婚すれば働かなくても暮らしに困らないと思っていたらしく、正夫の方も当てが外れたらしい。そもそも、正夫本人には真面目に生きる心算などないらしい。特攻隊には、死ぬのに大義名分ができるから志願したのだという。
一人身のときは、お金さえあればビリヤードに通っていたという。得意そうに話す口調に腹が立つが、今さらしかたがない。仕事を見つけても長続きせず、喧嘩をしては辞めるか、辞めさせられてしまう。そのうち近隣でも評判になったうえ、どこにも雇ってもらえなくなってしまった。
佳菜は、前以上に夜鍋をし、仕立をこなすしかなかった。養う人間が増えてしまったのだから。毎日の夜鍋と家事でろくに眠る暇もない。正夫が少しでも何かしてくれれば助かるのに。ここ数日、日頃の疲れが溜まってきたのか、ひどくだるい。ああ、ぐっすり眠りたい。疲れが全部取れるまで、何もしないでただ眠っていたい。
しかし、疲れだと思ったのは間違いだった。毎月のものがない。ああ、妊娠してしまった。どうしよう。産婆さんはただじゃない。お産の費用も随分高くなったと聞く。結婚していればしかたがないけど、何とか貯めないと、あの子のように、また、あの子のように死なせてしまうかもしれない。
体はだるかったが、つわりはそれほどでもなく、比較的楽に危ない時期を乗り越えた。しかし、赤ん坊が育ち、お腹が大きくなるにつれ、お腹が邪魔で仕立がしにくくなってきた。何とか工夫しないと。お金が要るのだから。他でもない、このお腹の赤ん坊のために。眠い。疲れた。誰か代わりにやって。眠らせて。
自分が頑張るしかない。誰も、父どころか、夫の正夫でさえ当てにならない。ああ、武志しゃん。何で死んでしもうたと。武志しゃんが生きとったら、こんな目には絶対遭わんですんだやろうに。何でわたしだけ生きていかなんやろか。赤ちゃんも死んでしもうて、他の人の子供を産まないかん。女は、損や。損ばっかりや。
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産み月になって、ようやく何とかなりそうなだけのお金ができた。食べるものもろくに食べず、お腹の子に悪いとは思いながら、節約に節約を重ねたからこそできたお金だった。やっとホッとできた。少し体をいたわろう。赤ちゃん、ごめんね。情けない親で。でも、あんたをちゃんと産むためにせないかんやったとよ。ちゃんと産んじゃあけんね。元気で生まれてくるとよ。
この家のお陰で、戦後の混乱の最中の不衛生な住宅で産まずにすむのは有り難かった。今は日本のどこでも戦後の不景気と混乱で、伝染病が多いと聞く。それを考えれば、この住まいは有り難かった。最初の夫の武志と住み始めた家で、狭くはあるが、掃除さえすれば不衛生なことなんかないのだから。
夏の暑い盛り、長女の真沙子が生まれた。男子ではなかったが、正夫がひどく喜んだので何より希望が持てた。子煩悩ではあるようだ。良かった。子供のために、ちゃんと仕事をしてくれるようになるかもしれない。
その願いがかなったのか、正夫は仕事に熱心になった。だが、血の気の多さはどうにもならないらしく、どうしても長続きしない。佳菜が仕立物をしているから食べていはけるものの、前よりはまし、という暮らしだった。そうこうしているうちに、また妊娠した。
今度は、もう心構えができていたので、父にも夫にも内緒で貯め込んでいる。前のようには根を詰めずにすみそうだ。それでも、お金がないお金がない、と言って倹約した。子供が増えれば子供のためにお金が要る。父にも夫にも節約に慣れていてもらわないと。今度こそ男の子だといいけれど。
そう願っていたが、生まれたのは次女美沙子だった。長女のときと違い、栄養にもこっそり気を配ったせいか、丸々とした女の子でろくに病気もしない。元気いっぱいに、耳をつんざくような大きな声で泣く。長女のときは何も言わなかった正夫が、眠れないと言って、時々癇癪を起こすようになったのは困るが。
しかたがないので夜中に外に出てあやすことになる。夜泣きはそれですむが、その間、仕立物がはかどらない。二人の子を育てながら仕立てるのは並大抵ではなく、思った以上に収入が減った。
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そうこうしながらも、二人の子はすくすく育ち、次女もヨチヨチ歩きを始めた。お腹には三人目の子ができた。また、今度こそ男の子を、と願う。男子を産んでナンボの女の値打ちは、家付き娘だとて例外ではない。
それにしても、父の佐吉と夫の正夫の仲がだんだんこじれ出し、毎日のように喧嘩が絶えなくなったのが気にかかる。些細なことでも、佳菜が止めようものなら火に油を注いだようになるので、止めることもできやしない。本当に、二人とも譲ろうとしないんだから。
そんなある日、外で二人の言い争う声が続いていたのが一瞬静まった、と思うと、一際大きい父の怒声が響いた。
「ここには住ません!親子揃って今すぐ出て行け!何も持っても行かせん!」
ここは佐吉の土地で、家も家財も佐吉のものだ。出て行けと言われれば、出ないわけには行かない。売り言葉に買い言葉で大喧嘩をした当人達は気が済んだかもしれないが、佳菜は目の前が真っ暗になった。要らなかった家賃が要る。家財を買うお金が要る。今、すぐに。
二人の喧嘩の様子では、すぐに出て行かないと、血の雨が降りそうな剣幕だった。男というのは厄介なものだ。養子ともなれば、遠慮しろ、遠慮してばかりでいられるか、の応酬ができるのだから。嫁なら黙って我慢するしかないものを。
佳菜と正夫は、仕立物もそっちのけにして、人に当たり、聞いて回った。急なことでもあり、少しでも安いところをと、やっと探し当てたのは、目も当てられないほど老朽化した二階建ての木造アパートだった。
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