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Mosaic Box
梅之ゆたか著
小説ファンタジー詩集歌集
概要・登場人物: 櫂はあるけれどあるが儘におやくっさま
和裁教授縁談沙智子五人の男の子正夫佐吉遺産相続挽歌

佐吉

佐吉が時々寝込んでいるらしい。本人はたまに来ても何も言っていかないが、佐吉の家の近所に親戚があると言って、親切に教えてくれた人があった。祖父も祖母も胃癌で死んだ。ひょっとして?と思うと、あんな親でも気にかかる。それに、気にかけなかったら、世間が何というか。とにかく、今度佐吉が来たら、何としても検査だけは受けるように言おう。好き放題してきても死にたいわけはないだろう。
佐吉はやはり末期の胃癌だった。だが、頑として入院しようとしない。医者はもう年も年だし、末期に入っているから、手術して体力を落とすよりもそのままの方が長生きできるだろう。本人の好きにさせたほうが良いという。本人は、病院で死にたくない、家で死にたいという。皆で入院を勧めるが全く聞こうともしない。
それでも、誰もいない家で独り寝込ませるわけにはいかない。子供の世話も仕立物もある。正夫は思ったより給料が少ないとか何とか言って、袋ごと渡さないし。どうやら、貯金しているらしいが、それはそれでいい。生活費の足しにはなる。自分は自分で、老後と子供のために貯金しなければ。正夫を当てにしてはいけない。
何とか入院させなければ、世間が何というか。こんな小さな町では、ここに住んでいられなくなりかねない。できればこのまま故郷にいたい。そうだ。美沙子は良く父の家に遊びに行っていた。父は美沙子の言うことなら聞くかもしれない。美沙子もおじいちゃんが癌だと言えば言い含めてくれるだろう。
幸いとは言えないが、美沙子は大阪で病気になって治せないでいる。こちらに帰ってくるように言おう。今日明日という事情でもなし、迎えに行って、大阪見物をするのもいい。
美沙子は脊椎を痛めていた。そのせいで医者に仕事を辞めるように言われたが、故郷に帰る気になれなかった。嫌な思い出ばかりだった。またそりの合わない姉と角突きあわせるかと思うと、取り上げた受話器を元に戻す、といった繰り返しだった。そこに、母の電話が入った。

「元気そうやないね。美沙子。少しは良かね?」
「うん。まあ。もう、仕事してないけんね。」
「仕事ば辞めたら少しは良うなったったいね?」
「ちょっとはね。けど、荷造りでちょっと疲れたわ。」
「何ばしよっとね。してやるて言うたろが。」
「ばってん、少ない方が良かろ。二日しかないし、見物したかろ?前こっちにおったとやき。」
「うん。そうばってん。無理せんで良かったとに。」
「うん。ばってん、帰ったら養生するけん。働かんで悪いばって。」
「良かたい。働けんもんはしょんなかたい。」
「和裁ば教えてもらいたかばってな。」
「そげな体でできるわけなかろうが。覚えるたあ良かばって。そんくらいしかでくうもんね。」
「そうやね。情けなかな。絶対こっちで頑張ろう、って思うとったに。」
佐吉の病気は、美沙子にとって、帰る言い訳になった。はたして、祖父が自分の言葉に耳を傾けてくれるかどうかは自信がなかったが。体力のない美佐子のために、母が出向いてくれるという。ついでに懐かしい大阪見物もしたいから、というのでは、余計に拒めない。できるだけ荷造りして、少しでも見物させてあげよう。母にとって決して良い人生ではなかったのだから。
残りの荷物をまとめ、故郷まで配達を頼むと、美沙子は、もう、ここに、大阪に戻ることはないだろうと認めないわけにはいかなかった。勇んで出てきたのに、たった数年でギブアップか。我ながらなっさけないなあ。馬鹿にする姉の顔が目に浮かぶが、しかたない。こうなってしまったのだから。
さて、実のところ、美沙子も観光にはあまり興味がなく、ろくに見物していなかった。で、見物したいという佳菜の案内人としては頼りなかったが、一日目は市内を歩き回り、二日目は、数年前に開催された万博会場から足を伸ばして京都観光を楽しんだ。佳菜が国鉄の周遊券を買っていたので、一人分だけでも浮かそうと、バスも国鉄を利用した。
二人とも、観光などできない生活ばかりだったので、この時とばかり楽しんだ。またいつできるかわからないのだから、と。一人では面白くもなかろうが、女二人だと結構気楽で楽しめている。佳菜と美沙子は案外気が合うのかもしれない。
佳菜は、美沙子が何のかのと言いながらも人に冷たくできないのに気づいていた。こうやって二人でいると、きつい言葉は全く出てこない。真沙子とはそれほどに合わないのだろう。同じ姉妹とはいえ、顔つきからして全く似ていない。もっとも、今の正夫にこんな優しさはないけれど、美沙子は正夫の方に似ているようだ。
大阪は、二人ともに青春時代の思い出の街になった。次の日、二人はそれぞれの思いで大阪に別れを告げ、国鉄の駅に入った。

「もう、荷物ば向こうに行きよるかいね。」
「どげんかいね。ばってん、置くとこもあんまりなかが。」
「良かよ。そんまましとって。そんままでん良かとが多かき。」
「そうやね。仕事ばするごとなったら、またアパートば借りて出したら良か。」
「うん。あっ、ミカン!ミカン買わん?食べたか。」
「そげえね。買うとこうたい。中で食べるとに良かけん。」
「弁当は?あれがおいしそうや。」
「はい、はい。買おうたい。そうたい、帰りに宮島と門司で降りんね。あそこも見たかとたい。宮島にもおったとよ。」
「へえ、宮島にもおったつ?」
「若かときゃあ、あちこち行ったばい。」
「大阪におるとき?」
「・・・いんや、違うばってん。・・・あんた達のお父さんと結婚する前たい。あ、ほら、この列車じゃないとね。」
「あ、そうそう、これこれ。乗ろうや。んで、恋愛やったと?見合い?」
「・・・見合いたい。」
「好きな人、おらんかったん?」
「おったよ。」
「おったん!そん人と結婚せんやったん?」
「したが。」
「・・・お父さんと結婚したなら、ひょっとして、死にんしゃったと?」
「戦死しなったったい。」
「戦死?」
「うん。赤紙が来たけん、結婚してすぐ行きなってから。」
「赤ちゃんは?できんかったと?」
「・・・できたばってん、死んでしもうたたい。」
「男ん子やった?女ん子?」
「男ん子やったたい。」
「そう、その赤ちゃんが生きとったら、お兄ちゃんがおるんやねえ。」
「なんば、生きとったら、跡継ぎがおるき、再婚せんやったたい。あんたたちゃあ、生まれとらんばい。」
「・・・う〜、そりゃそうやね。でも、その子が生きとったら、お母さん、幸せやった?」
「そうやね、あんなに良い人はおらんもの。」
「そげえ良い人やった?」
「うん。従兄やったったい。わたしば、紡績工場から助け出して、和裁学校に入れてくれたつよ。じいちゃんは追い出したとに。」
「そげんね。本当に優しかったっちゃね。生きとんしゃったら本当に良かったとにね。わたし達は生まれんやったかもしれんけど。そげな良い人やったら、お父さんと結婚したりして苦労せんですんだとにね。」
「そうやね。ふふ、あんたっちゃ。自分は生まれとらんやったかもしれんとに。」
「そうやけど。ばって、やっぱ、そう思うけん。姉ちゃん達は知らんやろうけど、わたしはお母さんから結構聞いとるけん。お母さんの傍に引っつきまっつきしとったけんね。さぞ、うるさいで、しゃあらしかったやろね。」
「針が散らかっとうき刺したげなどげえするて思いよったばい。・・・そうやね。あの人が生きとったら、何の苦労もさせんやったろうねえ。」
「人間っちゃ、わからんばいね。」
「ほんなごつ。」
美沙子は病室をでたあとで呟いた。「おじいちゃん。ごめんね。嘘ついて入院させて。」
佳菜に『あんたの言うことなら聞くから、何とか入院するように言ってちょうだい』と何度も言われ、結局は、治るかもしれない、と祖父を騙すことになってしまった。姉の説得も功を奏しなかったらしく、「美沙子は口がうまいっちゃけ。」などと勝手な理由をつけて納得したらしい。それでも、美沙子の心境は複雑だった。好きなことをして自宅で死を迎えるのと、病院でじっと死を待つのと、どちらがいいのかわからなかった。
しかし、佳菜の理由はちゃんとしていた。娘夫婦を追い出した後、孫との交流はあるものの、娘とは滅多に顔を合わせず、合わせてもろくに話もしない。親子の間がうまくいっていないのは誰でも知っている。だからこそ、佐吉を入院させなければ、世間が何というか知れたものではない。最悪、早く死なせるために入院させなかったなどと噂されかねない。
そんな経緯がありながら、真沙子は、病室を出るなり、祖父を騙したことで落ち込んでいる美沙子に追い討ちをかけた。
「あんたは、嘘がうまいけんねえ。」
あまりに馬鹿にした言い方をされて、ふざけるな!と言い返したくなったが、抑えられてきた者の習性で、グッと飲み込んでしまった。誰が何のためにつきたくもない嘘をついたと思っているのか。姉は自分にできないことをっした者は何としても悪し様に言わないと気がすまないのだろうか。会社でも嫁ぎ先でも同じようにしているんだろうか。

正也の高校進学のときも、自分は補欠で入ってどんなに苦労したか、って皆に力説して、正也の、補欠で入ってもやっていこうという気持ちを粉微塵にして、父と祖父を味方につけて、程度の高い高校への進学を諦めさせてしまった。わたしがどう言ってもダメだった。でも、結局は、程度の低い高校の授業は程度が低すぎてやる気をなくしてしまい、高校の先生にひどく残念がられたらしいけど。でも、もう後の祭りなんだから。
私や妹も、何もしない、どうしようもない、と、いつも皆に言いふらされてたし。お母さんは生活のために夜なべばっかりで気力も体力もなかっただろうけど。家はいつも姉の天下で、私と沙智子は毎日毎日姉に馬鹿にされてキイキイ怒鳴られてた。お父さんもおじいちゃんも絶対に姉の味方しかしなかった。
百点取っても誰も褒めてもくれなかった。かえって、「遊んで取れるんなら、いつも取って当たり前たい!」と寄ってたかって叱られた。姉はいくら努力しても百点取れなかったらしいけど、何で妹が百点取ったら皆で馬鹿にするの?どんな天才だって遊んでばかりで百点ばっかり取れるもんか!たかだか姉妹の中で頭がいいくらいで!
姉は何かできなくても努力していてえらくて、わたしは何をしても努力してなくてえらくないのか?外ではがちがちで真面目すぎるといわれるのに、姉にかかるとちゃらんぽらんのロクデナシにされてしまう。姉は、いっつも、こうなんだから!姉は、本当は何に努力してるんだか!
それでも、人目もある。病人の看護を始める佳菜への気遣いもある。もう当分会わないですむんだから、と、口をへの字にして睨むだけで何も言えなかった。

佐吉はある日、病院で息を引き取った。九十二歳だった。老衰で死ねなかったのが不運だったが、長寿には違いない。葬儀には、近所からも義理で顔を見せてもらったが、実際に集まったのは家族と僅かな親族だけだった。

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