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Mosaic Box
梅之ゆたか著
小説ファンタジー詩集歌集
概要・登場人物: 櫂はあるけれどあるが儘におやくっさま
空襲警報大阪へ和裁学校帰郷結婚別離出産虚空再起

そんな佳菜に父の佐吉は冷たかった。『足入れ婚』で、男子が産めなかったばかりに追い出されたという、母を思い出すのだろうか。

佐吉は、村祭で母のナミに一目惚れしたが、家柄が合わないという理由で、祖母のツネに猛反対された。しかし、思い留まらせようとする母親をどうにか説得して嫁にしたのだと聞いている。母も佐吉を好きになったらしいから、当時には珍しく相思相愛だったことになる。
ところが、貰った嫁を好いているのに、初めての妊娠で跡取りの男子を産まなかったからといって、ツネが勝手に離縁してしまった。ツネにすれば機を得たりというところだっただろう。俗に言う『足入れ婚』だが、佐吉はナミを諦めきれず、ツネがどんなに良縁を勧めても、次の嫁を貰おうとはしなかった。
その時代には珍しいのかもしれないが、互いに好き合っていたために、人目を忍んで会っていた。ナミは、会いたい気持ちに逆らえず、赤ん坊だった佳菜を背負って会いに来たという。そして、その度に実家に連れ戻されるということを繰り返した。二人がどれほど好き合っていたか判ろうというものだ。それでもツネは復縁を許さなかった。
その後、ナミは泣く泣く諦めて世間体を気にする親に従い、佳菜を佐吉に託して再婚の勧めに従ったが、佐吉は坊ちゃん育ちが災いしたのか、ナミにそれほど惚れ抜いていたのか、総てを放り出して放蕩に走ってしまった。
母親は無理やり後妻のタミを迎えたが、まるで上手くいかず、タミは一年ともたずに逃げ出した。佳菜はこのタミに随分と八つ当たりされて虐められたので、ホッとしたものだ。陰で祖母が庇っていなければどうなっていただろう。
タミが継母でいる間、佳菜は小遣いを貰えるどころか、賞をもらった絵を描いたときでさえ、画用紙代を貰うのに、『お菓子でも買う気やろうが。嘘ばっかい言うっちゃない!』などと罵られた。体操着が小さくなってもなかなか買ってはもらえなかった。余所行きはおろか普段着でさえ買ってもらった記憶がない。
タミにしてみれば、佐吉は好いてもくれず、優しくもしてくれず、放蕩ばかりして働こうとしない。姑のツネからはタミの器量が悪いからだと責められる。佳菜しか八つ当たりの相手がいなかったのだから、佳菜にとっては災難としか言いようがない。

人は『家』を大事にするあまり、そこに住む人間の意志を無視してきた。それ以上に女は仮腹とも考えられていたから、タミのような思いをした女性はいくらでもいた。
しかし、佐吉が女をそういう風に考えていたのなら、放蕩に走ったのも無理のないことかもしれない。佐吉にとっては、生まれた時代が悪かった。『男』よりも『家』が重要視された社会が、佐吉の人生を破綻させてしまったともいえる。
佐吉の心情と所業を思うにつけ、佳菜は、武志が夫であることの幸いを有難く思った。例え貧乏をしたって、武志が夫である限り自分は幸せでいられる。
残暑というにはまだ暑い頃、武志から、面会の許可が下りたので、来るようにという手紙が届いた。手紙の検閲があるので、それらしいことは書いてないが、軍の厚意で休暇が取れたとある。間違いなく戦地に行かされるのだろう。
つわりが続き、妊娠が確実になったので、妊娠を連絡する手紙を書こうと考えていたところだった。面会が許可されるのは戦地に行く日が近いのだろうだから、一目でも会いたければ、すぐに行かなければいけないと、誰からともなく聞かされていた。郵便事情が良くないので、面会日は明日になってしまっている。
駐屯地の近くの温泉旅館に一晩泊まれるとあるので、佳菜は取る物もとりあえず、準備を済ませ、列車に乗り込んだ。突然の出費にも、和裁の内職で貯めたお金が役に立った。武志に会うときのために、佐吉にも内緒で貯め込んでいたお金だった。
古めかしい旅館に着いたとき、佳菜は倒れてしまいそうなほど疲れ切っていた。初めての妊娠でもあり、つわりで吐き気がし、車中でも我慢するのが大変だった。同乗者には舌打ちしたりする者もいたが、時が時であり、戦地に赴く夫に面会に行く妊婦というので、親切に労わってもらえるほうが多かった。
会うなり、二人はひしと抱き合った。ああ、会いたかった。どんなにか会いたかったか。二人は同じ思いを味わっていた。短い新婚生活を補うように、残り少ない時間を埋めていった。戦争などすぐにも終わればいいものを。
「武志しゃん。赤ちゃんができたとよ。来年の七月になるばい。」
見る見る武志の顔がほころんだ。
「ほんなごつな。俺ん子ができたつな。親父になるばいな。佳菜ん子やけん可愛かろうなぁ。そん頃には帰られたらよかつばってん。」
「死んだらいかんばい。赤ちゃんの顔ば見に帰ってこなばい。絶対ばい。」
「ああ、絶対帰って来るき。帰って来るけんな。」

二人は、戦争が終わって赤ん坊との平和な時を送る日のことを夢に描いて残りの時間を過ごしたが、武志は自分が生きて帰れる可能性など殆どないことを知っていた。
佳菜にそれを告げ、自分が戻らないときは、躊躇わずに再婚するように言う心算だった。しかし、それを言えなくなってしまった。妊娠していないなら、自分を忘れて生きるようにも言えただろう。たとえどんなに言いたくなくとも。しかし、妊娠が判った以上、そんなことは言えない。
佳菜には気持ちを楽に持って、元気な赤ん坊を産んで欲しい。自分の血を分けた子供を。佳菜がその子を産んでくれる。こんな時勢に、好きな女と結婚できただけでなく、子供まで生まれる。自分は果報者だ、と武志は思った。
生まれる子のために、佳菜が一人で苦労しなくて済むように、できれば帰ってきたい。戦争なんかくそくらえ、と逃げ出してしまいたい。しかし、どこにも逃げ場などありはしない。自分も佳菜も、赤ん坊までもが、『赤』と蔑まれ、なぶり殺しにされてしまう。佳菜と赤ん坊をそんな目に合わせるわけにはいかない。
武志は佳菜の顔を飽くほど見つめ、声を忘れまいと聞き耳を立て、眠る間も惜しんで愛おしんだ。夜が明け、隊に戻る時間が来たが、何で簡単に別れられるだろう。しかし、佳菜を不安にさせるわけにはいかない。武志は、精一杯の笑顔で、帰って来ると約束し、身を裂かれる思いで佳菜と別れた。佳菜のお腹に手を当て、まだ見ぬ我が子に別れを告げた。
武志の願ったとおり、佳菜の方は武志に妊娠を告げて、明るい未来を思い描いたお陰で、少しばかり希望を持てる気分になっていた。武志は絶対に生きて帰ってくる。この時は確かなことのように思えた。
それは、秋も終わり、冬が来て、年が明けたばかりのある日の午後だった。佳菜は、膨らんできたお腹を少々持て余しぎみに動くようになっていたが、嬉しい期待も一緒に膨らませていた。
そこに舞い込んだ武志の戦死の知らせは、佳菜を一気に地獄に突き落とした。戦況は日増しに悪化していたし、武志も、他の兵隊達と同じに、訓練もろくに受けないまま最前線の南の島に送られたという。
すぐに戦死したのだろうが、佳菜が戦死の通知を受け取るのは何ヶ月も後になっていた。また、珍しいことではないが、遺留品は一つとしてなく、戦死の通知の紙切れ一枚を受け取っただけだった。
佳菜は泣き続け、塞ぎ込んでしまった。赤ん坊がお腹にいなければ死んでしまいたいくらいだったが、赤ん坊のために、生きようとした。自分のお腹には武志の赤ん坊がいる。武志がいたら、泣いてばかりいると赤ちゃんに障ると言って叱るだろう。
武志の戦死の通知が来てからも、近所の主婦はかわるがわる佳菜の様子を見に来てくれた。佳菜は大事な未来の兵隊さんを産むかもしれない。その赤ん坊に万が一のことがあっては、村全体の落ち度になる。佐吉が当てにならないのでは、こういう訪問でも佳菜には有難かった。

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