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Mosaic Box
梅之ゆたか著
小説ファンタジー詩集歌集
概要・登場人物: 櫂はあるけれどあるが儘におやくっさま
空襲警報大阪へ和裁学校帰郷結婚別離出産虚空再起

八月初旬、武志に赤紙が来た。
武志はここが決め時と心得たように行動を起こした。その日のうちに仲人を立て、佳菜との縁談を即日まとめさせた。
この時代には当たり前の成り行きだった。若者に赤紙が来ると、家と子孫を残すために急ぎ仮祝言を挙げて、短い新婚生活を送らせ、戦地に送り出す。若者は戦死するかもしれないが、将来戦争に出ていける男子を残してくれる可能性がある。
酷く非人間的で、なんとも寒々しい。女性は、その短い蜜月で見知らぬ他人といっていい男の妻となり、その男の『家』の嫁となり、子供が生まれれば、余生をその子供につぎ込む義務を負っていた。

佳菜はこの点で幸運だった。武志は佳菜が心を許せる唯一の相手だった。武志も佳菜を大切に守ってきてくれた。二人の結婚は、二人にとっても周囲の者にとっても喜ばしく、当然のことだった。
唯一つの二人の不幸は、武志が出征した後、佳菜を守る人間がいなくなることだった。それでも、武志は戦争に行かなければならない。生きて戻れないかもしれない。
だから、一緒にいられるのは今だけ、たった数日しかないのかもしれない。佳菜は生きて帰ってきて欲しい。武志は生きて帰ってきたい。しかし、二人の採る道は一つしかなかった。
幸い、佳菜は、婚礼衣裳の黒紋付も、武志の紋付と羽織袴も、自分で縫って用意していた。若い娘が嫁入り支度を調えておくのは当然だったので、仕立物をしている呉服屋から少しずつ反物を買い、縫っておいたのだった。
戦時下というので、和服をモンペにするよう通達があってからは、豪華な衣装は売れ行きが悪く、仕立物もモンペへの仕立て直しばかりだったので、仕立てるのは楽しくもあった。
翌日には、慌ただしく祝言が挙げられ、町の写真館で婚礼写真を撮り、非常時ではあるが、簡単な祝いの席が設けられた。
武志と佳菜が、一週間の短すぎる新婚生活を送ることになった新居には、佐吉の家の敷地内にある別棟が当てられた。二間しかないが何の差しさわりもない。佳菜はその小さな家で武志が戦地から帰るのを待つことになった。
村中が、出征前というのでそっとしておいてくれるお陰で、二人は新婚生活を精一杯楽しく一緒に過ごした。佳菜にとっては至福の一週間だった。こんな思いがもう味わえないかもしれないとは考えたくもなかった。
出征の前の晩、佳菜は武志の胸で思い切り泣いた。男は泣いてはいけないと言われて育った武志も泣いた。佳菜は武志が帰らないかもしれないことを嘆いて泣き、武志は佳菜の傍で佳菜を守ってやれない悔しさに泣いた。
自分が出征したら、村八分にされている佳菜を守る人間がいなくなる。佐吉はまるで当てにならない。佳菜に優しくしている姿など見たこともない。武志にとってなにより辛いことだったが、出征は避けることのできない『天皇陛下の御命令』だった。
二人は、互いの温もりを忘れるのを恐れるように、夜明けまで抱き合っていた。そして、夜が明け切ると、心を決め、黙って出征の支度を始めた。二人を引き裂く軍服を着た武志は、いつにも増して雄々しく凛々しかった。二人は、近隣の人々が集まる前に、言葉もなくただ抱きしめあった。
泣いてはいけない。武志さんが笑われる。お国のために出征するのだから、泣いたら陰口を叩かれる。ただでさえ、村八分にされているのだから、毅然としていなければ。

「皆の前で言われんけん、今言うとくばい。帰ってこらるうたぁ限らん、帰ってこられんかもしれん。ばってん、和裁ばできるけん、食うていくこつぁでくうやろう。頑張るとばい。」
「うん、武志しゃんも生きて帰ってこらるうごと頑張ってやんしゃい。待っとうばい。ちゃんと待っとるけんね。赤ちゃんができたら知らせるけん。戦地に行かすときゃあ、連絡ばしてやんしゃい。絶対会いに行くけん。」
「ああ、待っとってやんしゃい。赤ん坊ができとったらよかな。男でん女でんよかばい。身体ば大事にすっとばい。」
『うん』という返事をしようとした佳菜の耳に玄関の戸口を開ける音がした。

「もーし、おらっしゃるな?そろそろばい。皆集まって来よござぁけん、挨拶ばさっしゃれんな。」
「はい、有難うございます。唯今参りますけん。」
二人が玄関をでると、殆どの村人が勢揃いしていた。武志は佳菜の前に立った。これが、佳菜を守ってやれる最後になるかもしれない。武志は下腹に力を込めて口を開いた。
「本日は皆様大変ご苦労様です。お陰さまでお国のお役に立つことができます。天皇陛下の御為に身を投げ出す覚悟でおります。後を、何卒よろしくお願いいたします。」
佳菜は武志を見つめた。武志も佳菜を見つめた。他人の目のあるところで滅多なことは口にできない。二人は言い残した別れの言葉を互いの瞳に込めて見交わした。
佳菜も武志も、列車の駅につくまでの道程で、身を切られるように辛いという思いを、心底肌で感じていた。駅では、衆人の目があり、互いの無事を祈り、目と目を見交わすことさえも、はばかられた。村人総出の、日の丸の旗に送られ、武志は出征していった。
武志が出征して一ヶ月もしないうちに、佳菜は妊娠に気づいた。
国にとっては、御国の為に出征して死んでいく若者の代わりに、後を引き継ぐ子供が一人でも多く必要で、男子が喜ばれたのは言うまでもない。
しかし、佳菜はそんな世情とは関係なく、自分に優しくしてくれた従兄が、夫になってくれて嬉しかった。その子供が自分のお腹にいると思うと、なお嬉しかった。できれば男の子がいい。世間は勿論、父の佐吉も疎かにはできないだろうから。
男やったら武志しゃんに似て優しく強い男に育ってくれるだろうか。佳菜は赤ん坊に話しかけた。
「勿論、お父しゃんとお母しゃんは、男でん女でんよかとよ。」

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