寮の皆が見送りに出てきてくれた。皆くたくたに疲れているだろうに、ここになんかいるよりもずっといいのだから、と励ましてくれた。仲良くなった友達も、可愛がってくれた先輩達も、涙ながらに旅立ちを祝ってくれた。先輩達は口々に言った。
「佳菜ちゃん、よかったなぁ。和裁学校に行けるやなんて。」
「ほんま、夢のような話やで。ここにいてるよりずうっとええねんからな。」
「ぎょうさん意地悪されたかて、負けんと気張りぃや。」
「身体にだけは、ほんまに気いつけるんやで。」
佳菜は涙を拭くのも忘れて別れを悲しんだ。もう二度と会うことはないだろう。殆どの女工が、工場の塀の中から出られることはないのだから。恐らくは死ぬまで。佳菜には返す言葉が見つからなかった。武志は柳行李を持ち上げると、穏やかに佳菜を促した。
「さあ、こん人達も仕事で疲れとるっちゃし、暗くならんうちい旅館に着かな危ないけんね。行くばい、佳菜しゃん。」
佳菜は決心したように別れの挨拶をした。
「皆さん、えらいお世話いなりました。うち、免状を貰えるように気張ります。…っ。」
後は涙で詰まって声にならなかった。佳菜は大きくしゃくりあげ、それから、回れ右をして、二度と振り向かなかった。
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![]() ![]() 歩き出してしばらくして、佳菜が落ち着きを取り戻したのを確認したように、武志が口を開いた。
「駅の近くい宿ば取っとるけん、明日はゆっくり寝とってよかよ。昼飯ば食うてから行こうな。こん後ぁ、何年も我慢ばっかいの日が続くんやけんね。」
佳菜は武志に心から感謝して眩いばかりの微笑を返した。
「あいがとう。武志しゃん。」
その微笑に、武志は自分のしていることが正しいことを再確認した。救い出したのだとはいえ、こんなご時世だ。どこも不景気で、学校といったってどれほどのものか。今の自分はただ良かれと思ってしているけれど、佳菜しゃんがこんなに嬉しそうな顔をしてくれるなら、後悔はしなくてすみそうだ。
ただ、人伝とはいえ、確かな話で、卒業後に帰郷して、立派に教室を開いている女子がいると聞いた。技術さえ、間違いなく物にできるのなら、やり抜く価値がある。やり抜いてくれるだろうか。少々心もとなくなっているようだが、折角馴染んだところを辞めさせられ、また違うところで一人にされるのだから、若い娘では無理もないが。
その旅館にもうそろそろ着くというとき、佳菜がつと立ち止まった。目が、小さな小間物屋の店先に向いている。そこには、綺麗な透かし彫りの入った柘植の櫛があった。武志は、佳菜が欲しいのなら、と、佳菜が遠慮して買わなくて良いと言うのを無視して、さっさと買ってくると、佳菜に手渡した。
「ちょっとしたお守り代わりたい。女子やけん、綺麗かもんば持ちとうてん、よかたい。持っとかんね。」
「あいがとう。武志しゃん。」
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![]() 学校に着くと、まず事務室で入学の手続きを全て済ませ、簡単な面談があった。その間、武は付いていてくれたが、佳菜を寮に送り届けると、佳菜の目をじっと見つめて言った。
「おいが迎えにくうまで、ここでん辛抱してからい、しっかい勉強すっとばい。和裁はどこいでも役い立つけんね。絶対迎えい来るけんね。」
佳菜は急に寂しさが押し寄せ、目に涙を浮かべた。もう何年も誰かが傍にいる安心感を感じていなかった。親にさえ邪険にされてきたのだから。傍に誰か自分を気遣ってくれる身内がいるという安心感は、たった一人で都会にいるのとは雲泥の差がある。佳菜は武志に向って消え入るような声で訴えた。
「絶対ばい。絶対に迎えい来てやんしゃいね。一生懸命勉強ばするけん。」
「ああ、絶対に来るばい。佳菜しゃんばこげな遠くに来させたままいなんて、絶対にせんばい。」
そして、一呼吸置いて付け加える。
「今度こっちい来うときゃあ、佳菜しゃんは縫い物の先生になっとうばいね。楽しみたい。」
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![]() ![]() この時代の和裁学校は、弟子入りの形を採っていた。昭和になったとはいえ、内弟子はまだまだ体のいい下女扱いが当然の時代だった。蚤や虱の巣のような煎餅布団と、それをくっつけるように並べた様は雑魚寝そのままで、蛸部屋といってもよかった。持ち物も安全ではなかった。
手癖の悪い者がいて、なけなしの小銭を入れた財布さえ肌身から離せなかった。武志が別れ際に買ってくれた柘植の櫛は、持ち歩けないので柳行李の下着の下に隠しておいたが、いつの間にか消えてしまっていた。
免状に関して言えば、ある程度の技術が身についても、免状はただでは貰えない。教授の免状ともなれば、佳菜にとっては信じられないほどの免状料を支払わなければならなかった。それに、教授の免状は順を追って取っていかなければならず、上の資格になるほど高額の免状料を支払わなければならなかった。武志は親の佐吉に代わって、その総てを賄ってくれた。
教育内容に関しても、弟子入りにお決まりの、『技術は盗め』式のやり方で、丁寧に教える教育などではなかった。したがって、基礎的な技術を教わった後は、教師や先輩が縫ったものを見たり、その手先を見て覚えるしかなかった。
生徒は学校が教材用として請け負った仕立物を仕立てさせられる。それは、当時、学校の収入源になっていて、生徒は、盆と正月に小遣いを貰うくらいだった。文句一つ言えず、期日までに縫いあげることができなければ、夜鍋して縫い上げさせられた。しかし、手に職をつけられるのだから、丁稚奉公よりはるかにましだったろう。
とはいうものの、親の仕送りがない生徒は、必要な物も買えなかった。着たきり雀の生徒もいた。盆と年始の休みはどうにか貰えても、行く所がない。遊びに行く小遣いもない。洒落た着物もない。仕送りなしで生活する者が殆どで、我慢できずに他人の持ち物に手を出す者がでたのも頷ける。
早く迎えに来て欲しい。そのためにも、我慢して和裁を身に着けなければ。佳菜は幾度繰り返し、自分に言い聞かせたことだろう。何を隠そう、佳菜も従兄を何度となく恨んだ。織物工場では給料が貰え、先輩達にも可愛がってもらっていたのだから。織物工場の織子のほうがどれほど楽だったかと、何度思ったことか。
それでも我慢したのは、やはり将来を考えたからだった。今は苦しくても、免状さえもらえれば楽ができる。次は自分が教える側になれる、自分はこんな酷いやり方はしない、と思えばこそだった。
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