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Mosaic Box
梅之ゆたか著
小説ファンタジー詩集歌集
概要・登場人物: 櫂はあるけれどあるが儘におやくっさま
空襲警報大阪へ和裁学校帰郷結婚別離出産虚空再起

大阪へ

もう、七年も前になる。佳菜は、尋常高等小学校を卒業してすぐに、大阪郊外の紡績工場に就職していた。
優しかった従兄が、その状況を気にかけ、余裕のない生活にもかかわらず、大阪の織物工場から救い出し、和裁の学校に入れてくれた。連れに来た従兄は、必ず迎えに来るから、辛抱して勉強するようにと言い残して、福岡に帰っていった。
従兄の想像とちがっていたのは、先輩の女工達が佳菜を可愛がってくれていたことだった。そのせいで他の新参の女工達から目の敵にされたほどだ。
しかし、自分を可愛がってもくれない親の元から離れただけでも、佳菜は嬉しく思っていた。それだけでなく、自活することまでできたのだから。皆の嫌がる残業も喜んでした。安い給金でも、働けば働いた分だけ給料は増えるし、その分、僅かでも自分の小遣いが増えた。先輩の言うことにも一生懸命従った。優しくもなかった親の仕打ちに比べれば、大抵は我慢できることだった。
その頑張りは、早くも数ヵ月後に実を結んでいた。珍しい例だが、有難いことに先輩達が佳菜を気に入って可愛がってくれ、陰険な意地悪をされずに済んだからだろう。そのうえ、先輩達がコツを教え、何くれとなく手助けしてくれたからできたことだといえる。普通は、数年経っても二台くらいの織機しか任せてはもらえないらしい。それを、佳菜は三台も、しかも数ヶ月で任せてもらっていた。
佳菜の小柄な身体は、三台の織機の間を忙しく行き来した。失敗して織機を止めてしまったら、織傷が入ってしまう。織傷が入ると反物の価値がなくなる。それに、可愛がってくれる先輩達の顔にも泥を塗ることになる。
先輩の一人から聞かされた話によると、普通は、織機の間を行き来するのにも邪魔をされ、何かにつけ意地悪をされるのだという。したがって、同じ時期に入ってきた女工たちからは、先輩達が目を光らせているから目立った意地悪をされずに済んだものの、随分と憎まれていたようだ。
とにもかくにも、生きていかなければならない。生きるためには働かなければならない。幸運もいつまで続くか判らない。働けるときは働いておこう。そうすれば、少しでも多く蓄えができるはずだから。佳菜は常にそう自分に言い聞かせていた。
工場で働き始めて、初めての給料日のことだった。いつものようにくたくたになるまでの仕事を終えた後、いつも口うるさい偉いさんが給料袋の入った箱を持ってやってきた。まずは先輩達が呼ばれた。みんな何か一言きついことを言われている。自分は新参者だから、どんな酷いことを言われるかしらと不安になり、名前を呼ばれたときは、心臓が止まるかと思うくらいビクンとした。
佳菜は佐吉に仕送りをしないといけない。結構残業したはずだが、先輩たちからは、形ばかり増えるだけだと聞いていた。佳菜は自分の肝の細さを情けなく思いながら、給料袋を受け取りに行った。
給料袋を渡しながら偉いさんが言った。
「先輩達がよう気張る言うて褒めとるで。せやけど、まだまだや。気張らなあかんで。初めての給料や。ちゃあんと家に仕送りしてから、残った分を大事に使うんやで。」
佳菜は喜びで叫び声をあげたい気持ちを抑えた。
「はい、あいが・・・おおきに。気張りますけん。」
佳菜は息を詰めて給料袋を開けた。佳菜にとって初めての給料は、重労働と長時間労働にもかかわらず、驚くほど少なかったのだが、佳菜にとってはとてつもなく多かった。それほど佳菜はお金に縁がなかった。
まるで愛情を注いでくれない親だったのに、佳菜は親不孝者ではなかった。世の習いで、殆どを親に仕送りをすることに抵抗はなかった。それに、いくらかでも自分の自由に使えるお金が手元に残る。それを初めて使ったときの嬉しさはとても口では言い表せなかった。
織物工場で働き始めて半年が過ぎた頃。暦は秋とはいえ、まだまだ暑い十月の初めだった。不意に従兄の武志が面会に来た。連絡もなしの訪問に面食らったが、父の佐吉に内緒で来たから、と言うのでまたまた驚いてしまった。
「武志しゃん、どうしたと。こっちに用があったと。」
「うんにゃ、違うとたい。」
武志は切り出しにくそうにためらってから口を開いた。
「そいばってん、ほんなごつは佳菜しゃん。あんたい、ここば辞めさせち、和裁学校に入れろうて思うてから来たとたい。」
佳菜は何度驚かされるのかと目を丸くした。
「和裁学校いね!ここば辞めちからね?ばってん、仕送りができんごとなぁが。」
佳菜は父の放蕩振りを思い、仕送りせんごとなったげな、お父しゃんちゃあ、えらい怒って和裁学校など辞めさすうに決まっとうやろうね、と思った。
「お父しゃんは仕送りせな怒ろうもん?辞められんっちゃなかと?」
「心配せんでよか。佐吉っつぁんにゃぁ、親戚のもんが意見してくるうけん。そいに、和裁ばでくぅごとなったら、どこいでも仕立物ばして仕事ができろうが。免状ばもろうたら先生にもならるうっとばい。こげな所にずうっとおったっちゃ、肺病いなって死ぬまで、働かなばい。」
「うん、解っとうたい。ばってん、しょうがなかて思うとったったい。ちょっとずつでん貯金しよるけん、いつか帰らるうと思うてから・・・。和裁ばでくぅごとなったら家に帰らるうっちゃね。家で仕立物ばして暮らさるうっちゃね。」

しゃべっているうちに実現できたときの様子がぼんやりと浮かんできて、希望が出てきた。
「ああ、ちゃぁんと学校に入学でくぅごとしてきたけん。あたぁ佳菜しゃんが行くだけたい。工場でん話しゃあ済ませてこっちい来たけん。急いでから荷物ばまとめんしゃい。手伝うたほうがよかね?」
「うんにゃ、すぐ終わるけん。ちょこっとしかなかっちゃけん。・・・夢のごたぁるたい。和裁ば習わるうっちゃねぇ。」
後のほうの言葉は独り言のように小さかったが、武志にはちゃんと聞こえていた。武志はほっと胸をなでおろした。
「ああ、そげぇたい。俺ん着物ばはよ縫うちゃあごつならんね。」
佳菜は久しぶりに明るい笑い声をたてた。
「当たり前たい。武志しゃんのとば一番に縫うちゃぁよ。楽しみにしとってやんしゃい。」

祖母は、佳菜が幼い時に他界し、母親もいない佳菜には、裁縫や家事を教えてくれる者はいなかった。そのせいで、女として恥ずかしい思いを何度も味わっていた。習わずにできるわけのない和裁を習わせてもらえる。免状を貰えるまで頑張れば先生にもなれる。佳菜は嬉しさが込み上げてきて、少ない荷物をまとめる間も、知らず知らず顔がほころんでいた。

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