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一言コラム
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日本では、誰もがといえるほど、大震災で危機感を抱き始めている。そうあるのは当然と思う。この団地でも、災害の際の支援組織を作ろうということになったらしく、助け手としての登録者を募っているとのことで、我が家にも来られた。
しかし、今の我が家は、私は障害者の認定は受けられずとも自力ではろくに動けないし、娘も小1からの陰湿なイジメが続いていて、地域の人の殆どと友好関係にない。したがって、もしもの時の手助けなど望むべくもない。なのに、それを知ってか知らずか、来られた方は「皆が入るのに…いいんですか…」と…。
いや、しかし、もしかして、そのニュアンスは…人手を出さない、あるいは、出せない家は、助け合う気がないものとして、助け合いから除外するのかしら???…とも思えた。実際、東北の大震災でも随分除外されていた方があるのだから、そうなのかしら。もっとも、もし登録しても、私や娘を助けようなんて人は、登録できる人たちの中にはいないだろうし、娘が手助けに出向いても有難がられはしないだろう。私などは娘がいても逃げきれない確率のほうが高いし、地域の避難所に避難しても、他の人たち同様に遇される図は想像もできないから、大して違いはないと言えないこともないけれど。

誰もが動いて生きている。その動きの広さに大きな違いがあるとしても。だから、誰であろうと、被災したその時、その場所で最善を尽くすしかない。ならば、必要なのは防災や避難の知識だ。あらゆる手段を使ってそれを啓発し、統率を図る組織だ。突如として襲う大災害に対し、一町内会、ましてや仮の住まいを想定した一公営住宅で人手を募ることにどれほどの意義があるのか。大震災や放射能汚染が現実の驚異となったからには、地域を束ねる組織の下で想定外をも想定した連携を築くべきだ。必要なら大災害を想定した再開発もすべきだ。束ねているつもりで税も負債も増やしてばかりの“つもり”行政には望むべくもないか…。

[2011.12.21]


TPPの賛否がどんなに姦(かしま)しかろうと、与党が首相に丸投げすれば、その“信頼”に応えて民意など無きものにするのが権力というもの。しかし、参加することに意義があるスポーツならいざ知らず、矢も楯も“たまらず”ならまだしも、矢も楯もはなから“持たず”では無謀に過ぎる。飛んで火に入る夏の虫にならない策はあるのか。
米国が日本の参加を嫌がっているという論調をよく目にするが、一体、何が米豪NZのポーズで意図かとなれば、その裏に見え隠れするものが自ずと見えてくる。ウィキリークスの暴露によれば、米豪NZが日“韓”の経済発展を揺るがすために参加させて搾り取ろうということらしいが、これに異を唱えたくとも、それを納得させるような日ごろの国々の言動でもある。江戸時代、なぜ大名に参勤交代を義務付けたのか…日本は経済大国だが、敵方だった外様大名のようでもある。だから日本の“過分な”富や発展は危険だ…という保身の心理に囚われる。…歴史はくり返す…。
韓国などは自国に不利と見て逸早く降りたというから羨ましい。もっとも、米国との不平等FTAで米国の利だけは図(はか)るようだが。日本は…今までが今までだから、参加させたくない素振りを見せればどんどん譲歩するだろうと足元を見られている。世界は、国連に敵国条項あるかぎり、敗戦国日本を人柱として支配国群を要(かなめ)とする秩序を保つのだろうから、太刀打ちできないのが現実でもある。大戦前と五十歩百歩…霊長類と偉ぶったところで、人間ごときに平和な社会は作れないという証明を見るようだ。
[ 2011.11.11 ]


家族の中に慢性的に具合の悪い身内がいると、どう努力しても、家の中が暗〜くなるのは避けられない。他の家族も、看病や手助けに手や時間を取られることで、その状態が長引けば長引くほど、精神的に追い詰められていく。
そのうえ、この不景気と雇用不安の中で増税だ?企業は企業で、企業に増税なら海外移転だ?所得税も市県民税も年金も健保も上げるし、払わなきゃ死ぬまで追いかけるが、国内の仕事はないだ?年金支給は遅くしたうえ減額だ?長患いなら自宅療養だ?トドメにTPPで個人や中小の産業を潰すだ?あれやそれやで、移民1千万人も、どうやって養う気だ?

TPPに向かおうとしているところを見ると、政治家も官僚も企業も、9割とまではいかずとも、少なくとも過半数は、国民を守る気なんぞ欠片もないのだろう。こういうときには米国よりに見える産経はともかく、他紙もネットニュースには流していないようだが、ウィキリークスの暴露が真実なら、その残る1割が政権を握ったとしても、喧嘩を売るなら原爆をまた落とすぞ、と言われそうでとか、脅されてとかで、翻意することになるだろう。米、豪、NZの白人たちは先の大戦の勝利では物足りないのか。ネオナチが増えつつあるように、白人は、どんな手を使っても、あらゆる分野で白人が優位になければ納得しない人種なのか。だから白人国家にテロリストが現れるのだろうか。
自国や他国の民を殺し、自然を破壊する無差別テロは到底許せるものではない。が、ウィキリークスの暴露によって露見したTPPの真意とやらも、人類皆平等とは対極だろうに。しかし、日本政府も、こうも国や国民を守れないのなら、国民に告知すべきではないのか?「多くの白人はこう考えている。日本が独立国であるのは体裁上しかたがないが、何としても核の前に永遠に跪かせたい、と」と。
[ 2011.10.24 ]


少々遅まきながら、高い買物につくかもと恐れつつ、住友ベークライトの「P-プラス」という野菜保存用の袋を購入した。それが9月16日に届くと、待ちかねたとばかりに、13日の夜に買ってきて、少しでも持たせるために収穫前の状態に近づけようと、冷蔵庫のポケットに立てて入れていた野菜たちを入れ直した。
う〜ん…マチがほしい…キャベツやレタスなどだと、ものすごく入れにくそう。それ用に、二方をカーブしたジッパーに、残る二方の角にジャバラ、なんてできないかしら?などなど思いつつ。
そして、今日はもう25日、まだ残っている青梗菜、小松菜、ピーマンが…傷みもせず活き活きとしているのだから凄い!好奇心はもう全開…昨日買ってきて入れ替えたベビーリーフを、いつもなら一度に使ってしまうのだけれど、敢えて少しずつ使ってみることに…葉っぱだけ、それも幼苗の葉がいつまで持つのか!
それまでは、洗って刻んでフリーザーに入れるという、“邪道”を承知で薬味や炒め物用の野菜を保存していた。そうでもしないと数日で葉先から黄色くなって傷みだす。そうそう買物に出かける体力はないし、余計な出費も嵩むし、での苦肉の策だった。ベランダ菜園は土を捨てるに困り、水耕栽培は夏冬の設備が高価すぎ、試行錯誤し悩んだ末に諦めかけていたので救われた気分。昔、庭で作った土つき人参が冷蔵庫で1ヶ月以上変わりなく保存できるのは目にした。けれど、こんな凄いポリ袋が出てくるなんて、夢にも思わなかった。

科学って凄い!もし若い頃に戻れるのなら、目の色変えて勉強してみるのに!…と、しばし空想に浸ってしまった。若者よ大志を抱け!いや、その前に…権力者よ初心に帰れ!如何な大志も他山の石も豊かな土壌なくば貧すと知れ。若者が存分に励めるドジョウ、もとい、土壌を造れ!
[ 2011.09.25 ]


…やっぱり民主は…南北や中国がらみの疑惑じゃ、絶対、自民に負けてない…日本人なら、本当に日本人なのかと揶揄したくもなろうというものだ。本気の本気で疑いたくなる。
何しろ、戦時中や戦後の混乱期には、盗まれた家系図の“写し”が闇市で売られているのが珍しくなかったというのだから。それこそ、同姓を名乗るつもりがないのなら、家系図など紙くずでしかない。盗む意味も価値もない。ならば当然、戦後の混乱に乗じて同姓を名乗った“なりすまし”日本人は、売買された“写し”以上にいて、日本人として子孫を増やしているわけだ。この科学の発達した現代の東日本大震災においてさえ、危うい日本語の怪しげな男女が出たというのだから、混乱した時代の“なりすまし”が如何に容易か想像できるというものだ。
人体実験を兼ね、一般人に核を落とすという卑怯極まる列強に屈したとはいえ、先祖代々の「家」を大切にしてきた日本人をこの上なく愚弄している。通名を廃することは誇りを取り戻すための第一歩だ。それでもまだ、それらの輩は“安泰”なのだから、そこで終わりではない。その屈辱とともに名を名乗るたび、それを許した占領軍に、今なお許し続ける日本政府に、心の底から怒りを覚える。正真正銘、日本人だというのなら、何ゆえに日本と日本人をこそ護ろうとしないのか。護る精神を持たないのか。護ることを誇りに思わないのか。
[ 2011.09.08 ]


やっと首相が代わりそうなのでホッとしたけれど、首相が誰になっても増税になりそうだから、最下層に属する庶民としては、何とかほんの小さな防御壁であろうとも築いておきたいところ。それに、僅かとはいえ、なけなしの中から募金したってのに被災者にはろくに渡っていないのに不満。誰かの私腹に化けないように、本当にちゃんと管理されているだろうかと疑いたくなるような官僚や政治家にも不満。
ともかくも、庶民の節約には限度がある。食べるためには働かなければいけないし、そのためには食べないわけにも身奇麗にしないわけにもいかない。しかし、未だかつて、一番締めつけられる結果になるのが庶民でなかったことはない。その苦しさは、余力のある層の殆どが想像もできないに違いない。無理にでも僅かな“体力”なりともつけておかないと、増税即餓死になるかもしれない。
せめて、誰が次期首相になろうとも、今度こそ、「日本と日本人とを護る」という一点くらい疑わずにすむ首相であってほしい…と願わずにはいられない。
[ 2011.08.23 ]


知事数人が対談する記事があったので読んでみたが…本気で「日本」のためを思っていて、言ってることも間違っちゃいないのかもしれないが、相変わらず、現政府ほどではないにしても“上から目線”な人だよなあ…と改めて思う。得手不得手は誰にでもあって当たり前、あなたにはないんですか?と読みながら突っ込みもした。要は、日本と日本人とを護るという一点であり、その政治手腕が他よりも好ましければ、“隙”を守る「私設秘書」を置けばすむことではないか。思想だとそんなわけにはいかない。庶民の願いは「悪いことさえしなければ、そこそこ暮らせる日本(世界)」であってほしいということだけだ。

どんな偉人でも、どうあがいても「覚えられない」「分からない」分野がある。それでこそ「人間」だ。わたしなどは薬の副作用で摂った食事を忘れるようなボケを経験した。未だにすっきりせず、夢なら醒めてくれと言いたい。人を見る目も大きく変わった。どれだけ「覚えられる」か「分かる」かは、何にでも大きく左右されてしまうくらい不安定な“能力”なのだ。ストレスだって、酷くなれば、考えることも、行動することも、分かることも、それを覚えておくことも、できなくなる。「覚える」「記憶する」ということが普通にできるというのは、何は無くとも、それができる程度には、何かに「恵まれている」からだ。

それぞれに「日本」を思いながらも分かれ道は数知れず…実際は記事から得る感じとは違うのかもしれないが…他県の知事らは、その迫力に“配慮”しながらも、これだけは、と意見を述べるかのようでもあり、表情を生で見たいものだと思ってしまった。数学や科学には正解がある。が、どこかで目にしたが、政治は千人の人がいれば千通りの理想があるという。政治ほど「苦い」ものはないだろう。その“大人の対応”の大安売りで失った国益は計り知れず、得たものはその場凌ぎの逃げ道のみ。せめて「日本と日本人とを護る」という一点だけは、政治家と公務員に不可欠であってほしいものだ。
[ 2011.08.07 ]


日本人って…外国のどなたかも言ったらしいが、庶民には昔ながらの「日本人」がいるけれど、それ以外は、日本人の心なんかとうに失くしていると思わざるをえない。戦前は、権力を持つほどに責任に目覚め、精進に精進を重ねるのが「日本人」だった。現代は、GHQがアメリカ式思考に“移行”させる教育を強制したせいで、社会の上に行けば行くほど、日本人らしさが消えてしまっている。戦前の教育はとても厳しかっただろうが、だからこそ、世界を驚かせた日本人精神の素晴らしさを身につける者が多くいたとも言える。
人が人より秀でるのは難しい。だから、いつの世も、どこの国でも、安易に人を力で捻じ伏せて貶め、上に立てたと喜ぶ輩が後を絶たない。それを許さない厳しい秩序と教育が日本人を日本人たらしめていた。現代の権力者や公務員で、耳が痛くないと言える者がどれほどいるだろうか。もう、庶民が何を言っても聞く耳などないのが中流以上になる資格のように思える。…だから復興だってままならない…。

思えば、麻生氏が総理の頃が、どの総理の時代より、一番言いたいことが言えていたし、それをちゃんと聞いてくれた気がする。それが良かったのか悪かったのか…彼の時代は、誰でもが言いたい放題を言えたがために続かなかったのだから。しかし、言えない時代が続けば、「力」が一部だけに集まり、歪んでしまうのが世の習いでもある。
誰もがそこを思い、言うべきところをわきまえていれば、一番長く続いたのは麻生氏の時代ではないか。一部にすぎない「庶民以外」は反発しただろうが、氏がしがらみを打ち負かし、通すべきを通していれば、多数を占める「庶民」の信頼は氏の下に集ったはずだ。氏に梯子をはずされた多くの庶民は、しがらみに流された氏のもとには集えず、違う梯子に賭けるしかなかった。しかし、つくづく政界のしがらみというものは…いつまでもどこまでも絡みつく、とんでもない代物らしい。…見ているしかできない今って…。
[ 2011.07.15 ]


<「転送届け」の後日談>
母「郵便物がどんどん溜まってるよ…郵送しようか?」
子「郵送しても「転送」されて“戻る”じゃないか

…呆然…そのうえ、「転送」が1年間で終わったその後は「発送元」に「返送」されるようになる。終わる前に「転送届け」を出すというのをくり返せば「転送」され続けるらしいが…。しかし、このままだと、事務所兼住居では、息子は“郵便”を永久に受取れない!?あえて郵便受けに送るなら「メール便」か?ボケかけてる思考回路はショート寸前。PCのメルアドと携帯番号があればネットでできるというし、後々の「届け」もありうるので、息子にバトンタッチ。「転送届け」は安易に出してはいけない。

それにしても…雲上人といい、宇宙人といい、その思考回路は一般人には全くもって理解不能だ。やっぱり、民営化がベストなのだろうか。そんな情けない世相の中で、皇室の方々が惜しみなく心を砕いてくださることは、世の誰が考える以上に、深いところで救いをもたらしているのかもしれない。帝王学というとしかつめらしく聞こえるが、人が人の上に立つのに必要なことは山ほどあるものだとつくづく思う。
[ 2011.05.21.更新]


原発に、復興に、“初めて”だからと言って糾弾をかわそうとするのも政治家にあるまじき態度だと思うが…その対処もできない状態なのに郵政問題を論じようとするのには驚かされた。しかし、この郵政問題…その渦中で働く人々は、その中でシェイクされ続けているのだから、落ち着いて仕事ができるような日々ではあるまい。しかし、だからといって、企業として、失態があれば責めを免れないのは言うまでもない。

郵便事業には「転居届け」というものがあるのを知らない人は少ないだろう。「転送不要」となっているものは差出人に戻されるが、他のものは転送される仕組みになっている…はずなのだが…誤配の確認を何度もしたのに、転送されるべきものが転送されずに誤配されるのでは、その事務が間違いなく行われていることをも疑いたくなる。こんな経験はこの歳になるまでしたことはなかったが。
個人事業主となった息子が借りた事務所兼住居への「転送届け」だったが…不安でたまらなくなって、とうとう、「転送届け」の“取り消し”を申し出た。
「前の届けと逆のところに住所を書いてください」
「えぇ?逆に書けば良いんですか?」
「はい、これで“取り消し”たことになりますから」
簡単に済んで良かった、やれやれ…と思っていた。しかし、なんと、もっと困る羽目になった。「事務所」宛ての郵便物までがこちらに来るではないか!!!何より、個人事業主とはいえ、事業の書類に急ぎの書類はつきものだ。息子は困っているし、息子に送る郵便料金もばかにならないし、持って行けば交通費がかかるし、ろくに外出できない身では体力が続かない。頼んだのは“取り消し”なんですがね!!!

まさか…本気の本気で真面目にやってる?もしかして、“庶民向けの対応”だったりして?たかが一例、されど一例、一事が万事にも思える対応に、文句の一つも言いたくなる。民間企業なら極々当然のことであり、この目まぐるしい現代に、見直しも合理化もせず、いかにもな“お役所仕事”とは。それも、この郵便局1局で済むものを、一々東京まで往復させる必要のある事務か?…無駄にも程がある…。しかし、単なる単純な事務作業に「取り消し」ができないなど、あって良いのか?親方日の丸だと、これほどの“無駄の極地”でもぼろ儲けできるのか?日本の公務員って…上から下まで能力の使い道を間違えている。
[ 2011.05.19.更新]


統一選…この日をどれほど心待ちにしていたかを、今日ほど思い知った日はなかった。しかし、その切なる思いを込めるはずの1票は、政治家らの党利党略とやらで、何の意味もないものにされた。
ここ福岡では、県知事候補は共産党とそれ以外の党の相乗り候補の2人だけ…全国的に相乗り候補が多いというのにも呆れたが、我が選挙区に限らず、少なくない県議候補が無投票当選というのだから開いた口が塞がらない。
散々その重さを啓蒙した挙句、自ら1票の価値を無きものにせんとし、党利党略とやらで国民の選挙権を奪い、国民の権利をとことん踏み躙る政治家たち。これが民主制に対する未曾有の冒涜でなくて何だというのか。これが民主制の行き着く先であるというのなら、その価値に疑問を抱かない者があろうか。
政治の表舞台でも、未曾有の大震災においてさえ、見ることの叶わない政治家たちの“党派を超えた連帯”は実に“感動的”ではないか?投票に行っても行かなくても、結果は動かない…一体、これは「選挙」か?私は、選挙権を得て以来初めて、1票に寸分の価値をも見出せない選挙を経験させられた。這ってでも行くと誓わせたものは、これほど儚いものだったのか?こんなものは断じて「選挙」ではない!!“もみ消された”1票を承知で投票することは、民主制への非常な冒涜に思えて、どうしても投票には行けなかった。誰だ!日本人から“選挙権”を奪うのは!!
[ 2011.04.10.更新]


震災一色の毎日…そのせいか、失業者やホームレスのニュースがほぼ皆無…彼らの問題が震災で解決するはずなどない…彼らは蚊帳の外に置かれているだけ…彼らだって経済危機で…震災と原発への対応の稚拙さにも現われている無能な政治家による人災の犠牲者なのに…今は彼らなど一人もいないかのようだ。
窮したその時に糧がなければ…王様であろうと乞食であろうと、家があろうとなかろうと…生きられない。その点では寸分の差もないのだ。

…色即是空、目を向けなければ何一つ事もなし…。権力は、いや、古今東西、如何に世が移ろおうと、自(おの)ずから分かれないではおかない底辺以外の層は、己が栄華が底辺の無念の上に成り立っているとは思わないように見える。栄華とは、他と比べて勝ればこそ言うに当たる。人一人、誰かの何がしかを己のものとせずに得られるものではない。そんな彼らが底辺の無念さを知る日などないのかもしれない。
世界中で、常に例外なく「知」を抑えられ、後れを強いられる人々…彼らが這い上がるには、本当に、「暴力」しかないのか!?日本は、それを「無条件降伏」で受け入れたのか?
[ 2011.04.05.更新]


一昨日、スーパーで珍しいものを目にした。それは国産の、しかも島根産の蜆(しじみ)もっとも、お値段もそれなりなので手が出なかったけれど。ネットでも結構なお値段で売られているのを目にはする。しかし、今まで目にしていたのは韓国産ばかりだった。原発事故で輸出できなくなったから目にできたのかもしれないと思うと、少々複雑な気分ではある。
我が街にも蜆はいるらしいが、やはり目にはできない。どちらかというと田舎なのに清流には程遠いと思えるその川で、業者らしき人々が蜆を採っているのを見かける。それで本当に肝臓に良いのだろうかとは思うが…まあ、海も近いし、清流でしか生息できない蜆が生きられるのだから、水も砂も見た目ほど汚くはない…のかも。しかし、国産を輸出して食べる分は輸入って…何か変…。
それはさておき、ことは蜆に限らない。実際に害はないとしても、それを日本人が認めたとしても、これから数十年も放射能が消えないとなれば、下手をすれば、日本産の食品は長く世界に受け入れられないかもしれない。外国は不安な食品添加物と同じように買うのを躊躇うだろう。誰にだって、より安心なほうを選ぶ権利があるのだから、それを非難するのは難しい。
しかし、それでは日本の生産者が立ち行かなくなるし、その分の外貨も入ってこない。しかも、食品に限らず、高い国産品よりも安い輸入品を、業者が今までと同じように輸入すればどうなるか。米国の某氏が言ったように「日本は貧しくなる」に違いない。日本は、高機能でも恐ろしく電気をくう高額製品ばかり求めず、もっともっと電気をと原発に頼らず、粗雑な輸入品で生活の質を落とすことにも甘んじるべきではない。輸出が持ち直すまでは、業者は輸入を制限し、物づくりに磨きをかけ、国民は少々高めでも国産品を買うべきだ。

今回震災に遭った三陸のリアス式海岸では、農業や工業での大きな発展は難しい。しかし、天然の深い港がある。昔も今も未来も、三陸の復興に最も適した産業は漁業だろう。燃料も少なくてすむ沿岸捕鯨は復興の大きな力になるのではないか。地震と津波が多い日本の津々浦々に漁業あったればこそ、人がこの地に永らええたとも言えよう。政府には、是非とも、その必要性を世界に納得させ、認めさせてほしいものだ。
[ 2011.04.04.更新]


先日、角界は外国人力士の帰国を許さないという記事があったが、許したという記事はまだ見当たらない。当人が安全を認識できずに不安でいっぱいなのに、その家族もさぞ案じているだろうに、帰国を阻止する権利が、いくら天災が原因とはいえ、原発事故を起こした日本にあるのだろうか。それに、そんな心理状態のまま日本に留め置いたのでは、場所が開催されたとしても良い取り組みが期待できるだろうか。
先の経済危機では、どうにか食べていければと、帰国する気にならない人も多かっただろう。しかし、今は?派遣切りの嵐は過ぎたとはいえ、そのために蓄えを失い、帰国したいと思っているのに、帰国するだけの蓄えがない在日外国人がいないはずはない。不測の事態はいついかなる時にも起こりうるというのを思い知らされたばかりではないか。実害がすぐには出ないし、出るほどには長引かないとしても、それは今のところであり、予測の域であって、予定とも確定とも言い難い。日本人にはこの日本こそが唯一の祖国だが、在日外国人は違う。帰るべき祖国は別にある。
帰りたくとも帰れない日が続けば続くほど、不安も膨らみ続けるだろう。その心中を慮って、今回も、いや、今回はなおさらに、政府が帰国後の当座の一時金などを見舞金として手渡してでも、帰国の支援をするのが、採るべき道ではないだろうか。
[ 2011.03.25.更新]


政府のやることなすことが、どうしても信じられない。識者の言すら、与党の息がかかっていない確信が得られないなら、十中八九疑いの目で見たくなる。仏の顔も三度というが、どれくらい疑っているかの自覚もなかった。仏も四度目は認めないでほしいものだ。救国内閣という意見もあるようだが、与党の誰が何を言おうと信じる気になれないから、なお困る。新型インフルに尽力した議員の言なら信じられるかもしれない…震災と原発に関しては、だけれど。国防に関しても現政府与党よりはずっと安心していられる。国民が安心して暮らしの向上に邁進できるくらいに日常を守ってくれそうな議員となれば…今の与党は恐すぎる…。
[ 2011.03.24.更新]


安全なのになぜキャンセル…という記事に胸が痛む。汚染は恐いが、地震後ではあっても原発事故が発生する前に、乳業メーカーで製造加工されたとはっきりしているのだから、その旨をきちんと明記するなら販売できないものだろうか。販売するメーカーとしては扱いにくいのだろうが、どのみち暫くは、日本製品は世界で敬遠されるだろうし、事故前の製品と分かっていれば、購入する日本人は多いのではないか。そういう思いをしているのはこの企業だけではないだろう。復興支援の一環として、自治体や消費者庁で何とかできないのだろうか。
政府も未だに“官邸主導”にしがみつく気らしいが、もしかして、無能な政治家たちのツケを払うのはこれからが本番か?仏の顔も三度というのに…手始めが日米同盟の撹乱…次が口蹄疫の初動の軽視…三度目が尖閣問題…そして今回、四度目が大震災に津波に原発事故…次なんて考えたくもない。そして新たな官邸の顔ぶれときたら…四度目もその長けた責任転嫁と隠蔽の能力で逃げ切る算段か。戦後教育のせいだろうが…日本人離れした思考の政治家が多すぎないか…。今回の天災で驚いたのは世界もだろうが、日本人でも驚いた人が少なくないだろう。いざとなれば、まだまだ純日本人的な思考を発揮するのが一般的日本人であったというのは実に喜ばしい。

しかし、格差が異常に拡大している今、先年の経済危機で全てを奪われ、未だに生活を立て直せないままの国民が少なくないことは、復興の足枷になるのではないか。前年の収入で徴税する仕組みがあるかぎり、今回の震災でも、そうなる人が出るだろう。
全ての税は前年の収入によって決められ減免なんか絶対にない。税は、巨大な雪だるまと化し、どこまでもいつまでも追う。取立ては悪徳金融以上に厳しいのに、法には堅く守られている。逃れるには“死ぬ”しかない…それが常套句らしき役所すらある…家族に住民票の抹消を示唆する、あるいは、本人に失踪を示唆する。それでは立て直すどころではなくなるが、督促や事情を鑑みるのは面倒でも徴収率は上げたいのだろう。それが、今の今、世界の賞賛の的になっている法治国家日本の裏の顔だ。そこには国民の暮らしは欠片(かけら)もない。それでも、全ての公務員がそうではないというのは、今回の原発事故でよく分かったが。
世界の賞賛は確かに誇らしい。しかし、賞賛のために末端の国民を贄(にえ)とし、湯水のようにODAをばら撒き、企業の利益を追求するなどは、人道に大きく反している。国の底辺層の物心両面のレベル向上は重要な国益であるはずだ。今までにそれがなされていたなら、もっとずっと賞賛される国になれていたはずだ。ODAも技術も、今より遥かに上質なはずだ。明治の教育勅語はそれを謳っていたはずだ。いつの間にか、当の日本人がそれを忘れてしまっていることを恥じるべきだ。教育予算が先進国中で最低というのにも権力の志向が現われている。一旦堕ちたら這い上がれない仕組みに胡坐(あぐら)をかくなどは、全く「日本人」らしくないのだ。
[ 2011.03.22.更新]


…日本人は色々な真実を教えられないでいるというのを知ってはいたが…ネットの投稿記事に引かれてYoutubeに行って、絶句した…。内容は難しかったが、言わんとすることは分かった。放射線と放射性物質は全く異なるものだという当たり前のことが。
放射線はレントゲンやCTと比較できるし「除染」で影響を軽減できる。が、放射線物質が体内に入るということは、体内で放射線を出し続ける“物質”を体内に取り込んだということなので、「除染」なんぞ気休めにもならないのだ。放射線は風に乗って移動したりしないが、“物質”である放射性物質は風に乗ってカリフォルニアまで飛んでいってニュースになったのだ。それがこの今も放射されているわけだ。それらの非常な危険を、政府やメディアによって意図的に混同させられ、安全だと思わされているということも。

スリーマイル島の事故を経験した米国の措置は当然のことであり、日本国民のほうが分かっていないのだろう。よくこんな大それた“隠蔽”ができるものだ…権力の傲慢さ?私物化?パニックを避けたつもりなのか?今では反対意見も多くなったが、昔は癌(がん)患者に癌の告知をせずに死なせてあげるほうが良いとする声が多かった。…それと同じ発想だろうか…。私は告知されずに死んでいくのは断じて御免こうむりたい人間なのだが、告知をしないのが権利だと思っている者にそれを言っても始まるまい。原発がどこまで安全なのかも、納得のいく説明ができる者などいるのだろうか。世界中が原発を推進していたが、日本の今回の地震と津波での原発事故が、その足を止めることになるのだろうか。そうであってほしいと、今は思う。
今さらながら不思議に思うのは、社員は大勢いるというのに、なんで、今頃になるまで「電源」を確保しなかったのか、だ。首相も、本当に詳しいのなら、なぜ、そこを突っ込まなかったのだ?それで?一体、誰の、何を、どう 信じろと?ミーハーは芸能人を追っかけるギャルやおばさんだけじゃなかったらしい。科学に、自分の命も他人の命も、祖国の命運をも捧に振る「識者たち」こそ、比類なきミーハーと言うべきだろう。
[ 2011.03.20.更新]


一瞬の油断も許されない危険、そんな巡り合わせは、長い人生の中でそう滅多にあるものではない。しかし、今回の大地震による原発事故は、その管理に携わる方々にとっては、まさにその巡り合わせであろうと、日本を含む世界中が固唾を呑んで見つめる中で、成さねばならないことを成そうと挑む、その心中を思うと手を合わせたくなる。
しかし、それはわが国のリーダーたちには怠けているようにしか見えないのだろうか。リーダーがそこまで思いやれないというのは…酷だ…。あろうことか最初の爆発前の鬼気迫る空気の中に、紛れもない門外漢の権力者が訪れる…“何か”が乱されないですむのか?予算は削減したが撤退は許さない?…希望を口にすれば叶うのは物語の中だけであり、現実は血の滲むような努力さえ往々にして無になるものを。リーダーは、高みから四方八方を眺め、時に遠眼鏡で見届け、最善の指示を出すものだというが…リーダーの背中が隠れて見えないのでは歩を進めようがないというのもあるし…そのための副官ではないのか?
また、メディアは映像を撮るのが仕事なのだから、下界がどうなっていようと撮るだろう。しかし、爆発を防ごうとしていた現場にリーダーに逐一報告できるようなゆとりがあるだろうか?死を賭けて現場にいる者に、それがあろうはずがない。あったならば、普通に考えて、爆発には至っていないはずだ。それを、報告が遅れたと叱責するなど、爆発のその時に、正真正銘、その命を賭けて「日本」を守ろうとした人々への冒涜であろうと、自分が票を入れたのではなくとも、誠に申し訳ないと、近くに行けるものなら、彼らに心から感謝し、深く頭を下げるだろう。

そして、今回の大災害は、200年に一度と予想される災害への備えに400年の月日がかかるなら、400年後の子孫たちからでも守れるのなら、という気にさせないか?そこで、遠い未来の祖国と子孫の安寧に思いを馳せ、やろうという気になるのが、いかにも日本人らしいとは思わないか?400年の間には科学も大きく発展するだろうが、それならそれでもっと強固なものになるだろう。
こういう思考をする日本人だからこそ、この日本で生きられたのかもしれないし。そんな気にならない御仁はいるらしいが、全ての大地が大陸に集まりつつあるのだから、もっと酷い地震がないとは限らない。予算は許すまいが、東京のスーパー堤防もだけれど、三陸に万里の長城よろしく築けるなら一息つけるのだろうが。
[ 2011.03.17.更新]


日本が50Hzと60Hzに分かれているために、電力を融通しようにも変換能力に限界があってできない?ここ福岡で節電しても、さして役立たないらしい。統一するのは…恐ろしく難しかろうが…そこを何とかとも言いたくなるが…自分が所持する電化製品全てを買い換えることを想像すると…どっちの周波数でも使えるものなんて無理なんだろうか…と、恥ずかしくも思ってしまう。
ともかく、国交省の「鉄道だけは止めないで」という気持ちはよく分かる。あまりにも被害の範囲が大きいから、被害地を支える力を少しでも多く維持するためには、被害地以外の産業の稼動を、可能な限り止めないほうが良いのは当然だ。そのための足と電力は必要不可欠なはずだ。車を使えばガソリンが大量に必要であり、信号が動いていなければ事故は必ず増えるだろう。そうすれば病院が足りなくなるかもしれない。その病院にも、自家発電設備が備えられていたりするようだが、同じことを小規模なところに望めるはずもない。
時間を制限されても一番実害が少ないのは一般家庭だろう。そして商店。違法すれすれの娯楽産業は特に。これからのこともある。無駄な照明と空調の制限は当然ながら、補助金を出してでも街灯や防犯灯はLEDやソーラーに換えるべきだろう。震災被害地の復興も、土地の持ち主に異論はあろうが、インフラを全て地下にして、できうる限り強固に、未来都市の見本のようにできないものか。その面での観光誘致も可能ではないか。照明程度の明るさで動かせる機器の開発にも力を入れるべきだ。企業の最近の取り組みや成果を見ていると、未来は何ともいえないから“今の”をつけるべきかもしれないが、「日本人ならできる!」と思えてくる。
[ 2011.03.14.更新]


最近は、何かというと増税と言われるようだが、失業率が改善したとは言えず、今年度の失職者を含む失業者が職を得なければ、未払いになりかねない税が次年度の税収の一部であるというのに、何をかいわんや、と思うのだが。アパートの家賃や仕事を続けるための交通費、日々の食費が、生きるために最低限必要なものだというのに異議は出まい。しかし、それを“そんなこと知りません”の一言で差し押さえるのが今の税制であり、一体、誰のための公僕か、と言わざるをえない。払うべきものは間違いなく払える時に払う仕組みであるべきだ。
そもそも、大切なのは「国民生活」であって、そのために必要なのが「税」だ。「一寸先は闇」は国民も行政も同じであり、“そんなこと知りません”と言うのは行政ではなく国民であるべきだ。収入が途切れたら払わなくて良いように、税の徴収と給与の受け取りは同時進行にすべきだ。中流以上の富裕層は、自分たちなら渋い顔やため息ですむ増税が、失業者を含む一般庶民には生命線を断たれるに等しいのだという“雲の下の現実”を、真摯に考えるべきだ。霞を食べても生きられるという昔話は、雲上にある人々の話ではなかったか。

中東でも王政を「時代遅れ」とし、王室が富を私しているとするデモがあるらしいが、それなら、王以外が政治をすれば先進的なのか?「統率者」がいない国があるか?世界の王政ではない国々は先進的か?富は平等に分けられているか?格差のない国があるか?誰かしらリーダーがいて、富は、例外なく、その周辺に集まっていないか?一体、何を根拠に「時代遅れ」???
今の世界に共通して言えるのは、誰が権力を握るにせよ、そこに富と権力が集まる仕組みしか作れないような人間ばかりだということだ。デモはともかく、国土を荒らして長く国益を損なうという点で、どちらの側の暴力もいただけない。素直に「これほど虐げられる謂(いわ)れはない!権力の座を明け渡せ!」と糾すべきだ。しかし、そんな中で天皇制を維持してきた大和民族には驚嘆させられる。常世に行ったら恥ずかしくて身の置き所に困るかもしれない。
[ 2011.03.14.更新]


「25%」って「半端」なの??例えば25.5%のように小数点がついているというなら紛れもなく「半端」だろうが…5%程度だったら文句もつけたくなろうが、4分の1なら悪くはなかろう。誰しも一度に4分の3に暮らしの質を落とすというのは容易ではないし、次がないというわけでもなかろうから。
それはともかく、「25%」という数字は、大阪市にとって、このうえなく“骨身に堪える”数字ではないか?中国残留孤児の家族の生活保護問題が市を震撼させたが、孤児本人は100%日本人でも、中国人との間にもうけた子は50%で、その子が中国人と結婚すれば孫は「25%」となる。そこで、子はともかく、孫までとなると、普通に考えて、日本人よりも中国人と考えるほうが自然であり、保護を適用して良いものかと迷わなかったとしたら、その方が職務怠慢と言えるかもしれない。だから、「25%」は、市職員の脳裏に強く焼きつき、重要だと思えばこそ「25%」の数字に治まったのではないかと思うのだけれど…違うかな?
府知事は何とか自分の思いを通したいのだろうが…箸の上げ下ろしにも文句をつける“嫁イビリ萌え”の小姑のようで…散々いびられた身なもので…思わずグ〜ッと引いてしまった。しかし、「25%」という記事がいくつも目についたが、記事にするほどのことなんだろうか…。メディアには、国民の目を逸らして隠したい何かがある、とかはないのだろうか?
[ 2011.03.11.更新]


「個人的には竹島は日本の領土とは一概に言えないのではないかと思っている」!?「そんなに大きな問題を引き起こすとは思わなかった」!?民主党の土肥隆一衆院議員…当選7回??“謝罪”して共同宣言に署名したうえに、宣言の場に同席までしておいて…その程度の認識とは…それでも日本の国会議員か!
甚大な国益の損失を招いているのだから、様々な失言や在日韓国人の献金よりも遥かに悪質なのは明白だ。土下座外交に未来はない。そんなことしかできない議連に価値はない。議連の解散や議員の辞職を検討すべきだ。それどころか、議員の資格を剥奪されて然るべきではないか。日本国民を率いる政治家が、反日国の歴史の歪曲を認めるというのがどういうことなのか、その自覚も責任感もない者が日本の政治家になれることが、そもそも間違っている。戦勝国が自由に歴史を歪めてきた敗戦国では、容易に国を揺るがしうる政治家や公務員には、「身を挺して国を守る気概の有りや否や」の審査が必要らしい。

また、ネットのコメ欄では、今回に限らず、“在日説”や“帰化人説”を目にすることがある。正真正銘の日本人がその誹(そし)りを受けるのは謂(いわ)れなき中傷だが、もし事実であれば、言うまでもなく、在日外国人が国会議員になるのは違法だ。また、国会議員に限らず、帰化人の国益侵害は虚偽の申告による帰化の証拠であり、法が足りなければ改正してでも、帰化は無効とすべきだ。
それというのも、同じ黄色人種なら、日本で通名を使って引っ越せば、外国人である事実の隠蔽が可能だからだ。それが国民の疑念や不安を生まないわけがない。当然だが、それある限り、外国人が国の中枢を占める危険は今の今でもありうるからだ。通名を使わないと差別を受けると聞くが、先にも述べた、敗戦国への理不尽を思えば、稀有な草食民族ともいうべき日本人が受ける差別のほうが遥かに甚大なのは明らかだ。そこに胡坐をかくがごとき通名容認は、今回、国に唾(つば)した議員の所属が与党である今こそ、その責において、速(すみ)やかに正し、通名禁止とするのが、万国共通の正しい政治家の道ではないか。内閣総辞職するにしても、解散総選挙するにしても、政界解体にしても、肝心なのはそこだろう。
[ 2011.03.10.更新]


都知事を辞めたら隠居なんてする気はない…今のような日本では政界を去るに去れない…のではないでしょうか。庶民の身でさえ危なっかしくて手に汗握る日々というのでは、後ろ髪引かれまくり、心配で心配で隠居気分になんか浸れない…と思うのは希望的観測…でしょうか?もし本当に東京で出馬されないのなら、福岡はどうですか?年のせいかボケのせいか、規定に疎いのですが、他の方を見るかぎり、県人に限らないようですし。
社民までが“推せる”与野党相乗り候補となると、麻生元総理の周辺だけが推されているのならともかく…ちょっと勘弁願いたい気がします。かといって、間近に反日国が並ぶ県の知事に共産党というのも…ちょっと…いや、すごく…。与野党相乗り候補の方も、かの名高き大岡裁きとは違って、振り回されてボロボロにならないかしら?そんな心配が無用の官僚まっしぐらの方かしら?与野党は上手く操作する気でいるんでしょうか?どちらにしても、あまり有難がる気になれないのですが?
福岡でも「10階まで駆け上がらなければいけない」ことが絶対にないとは言えないでしょうが…物言える方が九州の玄関口で構えてくだされば、しばし背中を向けても心強いでしょう。国内企業にとって、今は四方八方が不安の海であり、常に不安に揺れる海外を疎かにするのは愚の骨頂だとしても、国内の雇用の再生なくして、丈夫で長持ちする経済効果は望めない…と思うのですが…ダメですか?
[ 2011.03.08.更新]


このところ、地震に縁のない国などないのではないかと思えるほど地震が多い。しかし、地震対策は、技術があっても資金がないことには思うに任せないという現実がある。今回のNZ地震の大きな被害も、昨年の地震で対策の必要を認識していたにもかかわらず、資金不足でできなかったことも一因だというのだから深刻だ。耐震技術を誇るわが国ですら、対策の進まない状況が報道されている。
そもそも、支援というものは本当に困っているところに向けられるべきものなのに、言うは易く、行なうは難し。政治家の思惑も、国の駆け引きもあろうが、支援が兵器や私腹に化けるのでは、支援の皮を被ったテロ支援か賄賂だ。さらに、今の世界を例に見るなら、己が未来に危機を招くに等しい。また、エコテロリストへの莫大な助成や保護にしても、もし、エコテロリストが費やした資金と労力が地震対策に使われていたなら、どれだけの対策が取れていたかを、反捕鯨国は深く考えてみるべきだ。

自然の驚異は、依然として人の手に負えるものではない。環境破壊に水不足、食糧危機も目前に迫っている。環境負荷の少ないエネルギーの開発、海水の淡水化、その副産物の精製、天候に左右されにくい農業の研究など、ただ生きていくためだけにであっても、やることは山積みで、資金はいくらあっても足りない。地震国の地震対策が最優先事項の一つでも異論は出まい。自然保護とて度を越せば自然の掟を侵すが、その境そのものは明確ではない。家畜を飼い、増えすぎたカンガルーを食べるのが共生なら、取り尽くさない程度の捕鯨がなぜ悪い?
こんな災難に続けて遭えば、地震対策よりも鯨の保護、などとは思うまいし、言えまいが…支援に反対というのでもないが…酪酸をかけられ、失明の危険に晒され、船に火をつけられと、散々危険な目に遭わされたSSの支援国に、有償ではなく無償資金協力というのは…少々納得し難いものがある。それでまたSSに脅かされるのか?人が良いにも程がないか?現政府はそこを考えただろうか…まさか、考えもしなかったり…はないだろうな?
[ 2011.02.26.修正]


韓国で口蹄疫の二次被害?…蛇口を捻ったら悪臭!?生クリームのような濁った水!?…って…宮崎では二次被害なんて…しかも、そんな気色悪い被害なんて…あったとしたら、ここぞとばかりに新聞やテレビだけでなく、現政府までが大騒ぎして前宮崎知事を追い詰めただろうと、日本人なら誰でも思うに違いない。
頻繁に行き来のある隣国であり、危機が及ぶ恐れは非常に高い。韓国には本当に気の毒なことであり、努力に努力を重ねているのも事実ではあろう。しかし、他の国が根絶できているという現実がある以上、これだけ幾度もくり返すというのは、根絶のための何かが、政府か、企業か、国民か、そのどこかに、決定的に足りないのではないか。
それにしても聞きしに勝る親韓度と言うべきか…我が家はテレビも新聞も見ないが、ネットで知ることができている。が、日本の新聞もテレビも、現政府も、この一大事を報道していないとコメ欄にあるのは、一体、何故だ?新聞やテレビは、一体、何のために、誰のために、あるんだ?外務省などは、とっくに渡航規制をしていて当然の事態ではないのか!?まさか一緒に苦しむべきだというのではあるまい?やっと清浄国に戻れてこれからという時に、また蔓延でもしたらどう責任を取るつもりなんだ!?また「殺処分すればいい」のか?「だから、さっさと○○せと言っている」と元大臣が言ったのを思い出す度に薄ら寒くなる。…無責任が過ぎように。
[ 2011.02.25.更新]


阿久根市議会リコール成立!遠く離れた市ではあるけれど、庶民としては実に嬉しい。そして、非常に羨ましい。いくら住んでも馴染みたいとは思えない私が住む街にも、改革の嵐が起きないものか。
権力がのさばっていたり、排他的だったりなんて、世界に五万とあるだろうが、非はないのに非を創りあげて非難して恥じない、世界のどこにでも大なり小なりあるに違いないそれを許す風土こそが、様々な理不尽を増長させていると思えてならない。差別と区別は確かに違うし、その区別が難しいことは多いけれど、火のないところに火種を捨てて火をつけるようなイジメは、断じてイジメるほうが悪い、というのは誰の目にも明らかなのだから。
とはいうものの、私が住む街でまともに市民のことを考えているのって…共産党だけ…。市議会なんて、地方官僚なんて、上から下まで、利権と日和見とええかっこしたいがための搾取だらけ…にしか見えないのが切ない。だから、共産党が共産党でさえなければ喜んで入党するかもしれない。加えて、他に票を入れたくなる政治家がいないし、そんな色眼鏡を通して見てさえ良い政治家なものだから、市政を問う票は共産党に入れるしかない。阿久根市のように、アフリカや中東の風のように、私が住む街にも、最高得票で窓際ってなんなのよ!と怒りに震えた数年前の疑問を吹き消すような風が吹かないものか。
[ 2011.02.21.更新]


同じ日本人として欲目が過ぎているのでなければ…今年の建国記念日は、日本人に護国精神が再び根付いたことを確認できた日ではないだろうか。まだまだ人材も法も足りないけれど。戦後を耐え抜いて経済的豊かさを手にしたように、次は、精神的豊かさを手にすることに邁進していくのだろう。
しかし、それを格差の上に築けば、驕る平家の二の舞になる。その実例溢れる世界が足枷ではあるけれど。人は煩悩の塊だから、糾すべきことは膝を折りたくなるほどにある。勝者が歪めた歴史を見極め、事を見極め、妬まず、よく遊びよく学び、精進を常として。次世代にも、国にも、一番の守りとするには、それぞれが、それぞれを思いやり、それぞれにできることを精一杯するのが、結局は最善なのだ。昔の日本の良いとこ取りで。
私には、もう、1票を投じるくらいしかできないが、その1票にも祖国の未来を左右する力がある。上が歪めば下も歪むが、逆もまた然り。まずは一歩、統一選から。
[ 2011.02.13.更新]


新START発効とは言うが…戦略核は7年かけて減らす“予定”……予定が未定にならなきゃいいが…米露中韓に包囲されるような…四面楚歌に追い込まれている気がするのは…小人だから?

北方領土に岸壁…2年がかりで要塞化…何が何でも返さない。返す気はサラサラない。武力行使を除けば、これ以上ないくらい思い切り露骨な所有宣言だろう。それでいて、領土を盗られた国が領土問題に拘るのは建設的ではないなどと、しれっと言えるところは流石コミンテルンの故郷というところか。火事場泥棒という観念などないらしい。しかし、中国と手を組んだだけでこれほど強気に出るというのなら、とっくに出ていただろうと思うのに、それが今なのは…米国…だろうな。今の米国は過度の資本主義にあり、左団扇の個人はいても、政府は「違う」。トップの思想も。日本みたいにヘコヘコはしないけれど、弱ってはきている。
そして、今の世界を見るかぎり、米露中韓には共通の「思い」があるだろう。日本が泣いても痛くも痒くもないし、敗戦国が、しかも黄色い猿が「いい思い」をするのはむかつくし、絞っても絞っても絞れる日本を手放したくないし、などなど。何しろ、元々が、世界への「世間体」を気にしてやめたが、日本をバラバラに解体したかったのだろうから。“原爆より酷い”仕打ちだったはずなのに、未だに“生きている”日本が許せなくて、息の根を止めたい…かもしれないし?
それに、都合よくというか…露には日本の某元首相の長男一家が…中国には米大統領の弟一家が…いなかったか?それを利用しない国々だろうか…と、時々、思ったりするのだけれど。

「誠心誠意、真心を尽くせば、仲良くやっていける」のは、日本人と台湾人ぐらいかもしれない。歴史を見れば見るほど、世界に日本人ほどの“草食”民族はいないと思えてくるのだから。そして、世界はその草食民族を決起させてしまうくらいに酷かったんだとも。守りたい。取り返したい。守り、取り返す権利がある。そうは思うのだけれど、私たちは、守り、取り返せるのだろうか。
[ 2011.02.07.更新]


国の未来を選ぶのは憲法で認められた国民としての権利ではないのか?国民が住む「市町村」は国の一部ではないのか?それなのに、その未来を国民の意見だけで決められなくなる事態を、国民の民意を他国民の民意で侵すことを、日本政府は「合憲」だと言うのか!?国民の権利を守る気などないと堂々と宣言して恥じない“反国民”政府なんて…日本以外にはありえまい…。世界のどこの国であっても、その政府が同じことを言ったら、何事もなくすむだろうか?今の世界の有様では、すむわけがない。
先の敗戦で、日本人は歴史を奪われ、誇りを奪われ、教育をも歪められ、経済の方向性も変えられてきた。それでも、いかに他力による憲法であっても…身の危険を避ける術は敢えて残されていたというのに…つい最近、政権が交代するまでは…憲法で日本を動かせるのは日本国民に限られているからだ。なのに今は、メディアが書かない自由を謳歌しているうえ、政府が国民の言動を制限し、自衛隊が国民を監視し、整然としたデモにも多数の警官が動員される、そんな低俗な国に成り下がってしまっている。
殖民支配を受けているわけでもないのに、他国の個人の意見に翻弄されるような国が「国」と言えるか?他国民の意を汲んでも平和が保てるほど世界は大人になどなっていまい?世界が進化し一つの国になると言うのだろうが、今の世界の有様は…進化ではなく、退化してないか…?夢を描くのは自由だが…現実の上に載せたんじゃあ見ようにもに見えないから対処できない…対処できなければ、殆どの場合、事態は悪化するものだ。今の日本人に決定的に足りないものは、同じ日本人を守る権利を主張する「心」だ。
[ 2011.02.02.更新]


あまりに一途でも、あまりに散漫でも…何であれ、偏りは反発を生まずにはおかない。過ぎたるは及ばざるが如し…武道であれ、学問であれ…政治であれ、思想であれ、信仰であれ。人が考える力を持つがゆえに、死ぬまで求め、学び、野生を捨て倫理に生きる道を探るべく、人に生まれるのではないのか?
それを、いつまで、血で血を洗い、時を無駄に、生を無駄に過ごすか…。血を好む者に「力」を与え、その「力」に恐怖するのだから世話はない。はなから肩寄せ支え合い、「力」など与えねば良いものを…。自分だけなら無事に切り抜けられる?どちらかと言えば血が好ましい?社会に蔓延るいじめっ子たちに、良い子を良い子ぶりっ子と中傷させ、その潰し方まで教示しているのは、そんな人の道から逸れた者たちだ。
社会が、教育が、どれほど極められようと、そこが改められないなら、平和への道行は永遠に徒労に終わりかねない。今この時、一体、何を成すべきか、権力者は本当に分かっていないのか???その目を持たずして地位を得たにしても、持たぬままに維持するなど…本当にできるのか?過ちを改むるに憚ること勿れ。浅ましい一時の夢に酔うよりも、人の道を求め生きるほうが、安らかな眠りを得られように。
[ 2011.01.28.更新]


自民党と公明党…寄りを戻すのか?…あれだけ非難して前任者を追い落としておきながら…。時の政権に食い込むためなら何でもありが公明党に限らないのは“今”が証明してはいるが。しかし、次だけは自民党に入れざるをえないと決めた心に大きく風穴を開けられてしまった感は否めない。
保守の自民党といいながら、今また、外国人参政権などの日本国民としての確かな権利であったものを他国民に簡単に与えるのを良しとする党と、寄りを戻すのか?それは国益に沿うのか?元の木阿弥に戻るならば、支持に傾いた国民の姿勢も元の木阿弥になると思わないのか?一旦支持したら政権を取り戻すまでは大目に見る?元に戻るだけだから?今しも、国益を損ねるからと反意を唱えているのは何に対してか。
信教は自由だが…正直なところ、神の声で一変したり、何かあれば信心が足りない、寄付が足りない、などなどになりがちな「宗教」に国の行く末を左右されたくない。「神がかり」に過ぎる。
「神道」と「宗教」の違いはそこにある。昔の日本人を、力でも武器でもなく、人としての道徳とたゆまぬ精進の心で他国人が賞賛するほどの高みに至らしめた「神道」は、未だにそれを成しえているようには見えない多くの「宗教」とは全く異質なものだ。(もっとも、今は神社も企業じみてきているのが残念だが、氏子として神社を支えていた日本人の「神社感」が変わったのだから致し方あるまい)某議員ではないが「理解できない」ものと考えを同じくすることは適わないし、共に行動するなら“譲る”以外に道はない。それでは現政権と五十歩百歩、昔と同じ…それで良いと、何人が思うだろうか。
[ 2011.01.24.更新]


教科書に天皇陛下の尊称である「陛下」がつけられていない?…歴代天皇…昭和天皇…今上天皇…この場合に指しているのは「位」であり、尊称の役にはないと言える。そうとは言い切れない例に出会うと悩んでしまうが。しかし、明らかに「特定の御一方(おひとかた)」を指し、しかも、自国の元首と仰ぐ方を名指すのであれば、「位」に適した尊称である「陛下」をつけるのは、その国民なら当然ではないのか?
単に「位」を指すのか、「特定の御一方」を指すのかで、「陛下」「殿下」という「尊称」を付けるか付けないかが変わるのは当然ではないか?単に「位」を指すのなら「天皇」「皇后」「皇太子」「皇太子妃」「親王」「内親王」で。御一方だけが就かれる位に在る方を指すなら「天皇陛下」「皇后陛下」「皇太子殿下」「皇太子妃殿下」と《位+尊称》で。御二方(おふたかた)以上おいでになる位に在る方を指すなら「○○親王殿下」「○○内親王殿下」と《御名前+位+尊称》で。ついでに言うなら、「陛下」「殿下」という尊称は単独でも尊称としての格を損なわないが、文言や対話の中で同じ尊称を冠する方が御二方以上であれば混乱するから、そうは使えないが。どこの国でもそうではないのか?

…国語の力が足りない?…最近は普段の言葉や丁寧語どころか敬語までが乱れに乱れている。自分以外の人に敬意を払ったり、大切に思う気持ちを込めたり、そういう、人としての品格を高める言葉の使い方を学べていないからだ。方言にすら、それと分かるような敬語や丁寧語が存在する日本語なのに…現代人の受けた国語教育のいい加減さが分かろうというものだ。
しかし、「道徳」の時間は戦後すぐに消えたわけでもないから、足りないながらも多くのことを学びはした。不十分という自覚はつきまとったが、それでも、随分助けられた。恥ずかしながら、私自身、実際に何度か迷ったし、これからも迷いそうな気がする。しかし、高い教養を誇る文科省の官僚までもが「問題ない」とする有り様では、日本を誇りたくとも誇れなくなるではないか。そういう識者たちを世に送り出してきた教育者たちは、古き良き日本語が残る台湾やパラグアイにでも行って、“国語の逆輸入”でもしてきてはどうか?
[ 2011.03.21.修正]


「政治生命かける」とよく耳にするが、実際に「かけた」方がいないというのは現与党のクオリティーだろうか。ただでさえ思い通りにいかないのが人生なのに…「政治生命」って、他人の人生、それも全国民を背に世界と渡り合う重圧に耐える政治家が、そんなに簡単に掛け捨てできるものなの?そんなものに、そんなに必死にしがみつくの?…なんてね。
「僕のことはどうでもいい」というのも???それが大多数の賞賛の嵐の中で、対処を急ぐべき危機の現状認識を促す際などの言葉なら納得できるのだけれど…国益を損ねたことも含んでの非難を受けている方の言???思惑がどうあれ、少しでも身を清めて国難に対峙したいと思うのは、内閣としては当然だろう。

それはさておき、「開国」は慎重に願いたいと強く思う。今のまま「開国」したとして、農家は政府に守ってもらえようし、富裕層も自ら対処できよう。が、多くを占める低所得者層、ことに失業者などは身構えることすらできずに、「開国」の渦に呑まれるしかない。言わせてもらえば、わが国は高い安全性に慣れているが、安全性が不安な輸入品までもが雪崩れ込むとなれば、無一文やそれに近い状態で、何をどうしたら、身を守れるだろう。士農工商の封建時代さながらの、最多で最下級の労働者の現状を、家も田畑もあるのに収入補償まである農家と同じに遇してからにしろと望んでも…良くはないか?
そんな夢のようなことが可能か不可能かはさておき、今は、国内の労働者層の多くは不要と言うのだろうが、今さら、新興国がいつまでも低賃金に甘んじるとも思ってはいまい。遠からず帰る気になるだろうが、その頃には、祖国日本は、企業が帰るに帰れないくらいに、戦後の混乱期のように、民心が荒廃しているかもしれない。もう二度と帰らないのならともかく…貧乏でも真っ当に生きることができる程度には、祖国の労働力を温存しておく必要性がある…とは思わないか?
[ 2011.01.07.更新]


中国海軍の原子力潜水艦がノーマークで第1列島線を突破していた!?それだけの能力を持たせたのは誰なのか…米国?ロシア?…沖縄は風前の灯?…与那国島ではとっくに感じていたのだろうけれど、それ以外では…米軍を追い出せば“全てが丸く収まる”とでも思っているのかと思うくらいには危機感がないようだし…中国のような馬鹿でかい図体になった国にとっては、日本なんぞ、ましてや沖縄なんぞ、すでに通過ポイントに過ぎないのではないか。だからといって見逃す気はさらさらなかろうが…目指すは北アメリカ?いや、まずは南アメリカ?…かもしれない。
人の味を覚えた虎は人を食うようになるというが、通過ポイントである台湾〜沖縄〜日本は、いい練習台かもしれない。それを正当化することぐらい朝飯前にさせてしまったのは、言うまでもなく、日本を含む「世界」だが。我が子の言ではないが、本気で某アニメのように、国と領海ごと天空に舞い上がり、宇宙へと飛んで行けるものなら(もちろん空気と引力付きで)、喜んでそうしたい。そんなもの…今の科学力でできるわけがないから地上でどうにかするしかない。大昔なら、お屠蘇気分の時などが一番危なかったんだろうな。今は?
税金からの高給は何のために支払われる?「どうにかする」ことを頼めばこそだ。排すべきはその高給の陰で喘ぐ国民(=多数の労働者)か?それとも、国民に仇(あだ)なすものか?危機感を感じていると言わんばかりに南の警戒を強めるのは良いが、北をがら空きにするか!?千島はもう“あげる”のか?子供でも首を傾げる愚を…なぜ?あれもこれもできればこその政治家だ。反対のための反対をしてきたことが、全体数を減らして南だけに配備することが、どう国益に繋がると?もっとも、元与党とて、かの船長を「逮捕せず追い払えばよかった」の言にあるような態度できたというのが現実だから、何とも虚しいが…。生あるうちに、希望に満ちた元旦を迎える祖国日本を見られないものか。
[ 2011.01.01.更新]


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