Heaty Pepper TOPページへ 優しい人が優しく生きられる未来を。 TOPページへ サイト内一覧へ 初めての方へ
一言コラム
TOP 2022 2021 2020 2019 2018 2017 2016 2015 2014 2013 2012 2011 2010 2009 2008 〜2007
政治家は、政治に精通し、国家と国民をあらゆる災難から身を挺して護る姿勢が明確であれば、それでいい。好みの明確な政治姿勢が見つけられないから二世にしておくか、になるのだ。過去に何があろうと、上流家庭や政治畑に生まれなければ成しえない、知りえないことが多々あるはずで、人生の転機にも付き物であり、真摯に正す姿勢があれば、底辺層としては、かえって希望が持てるというものだ。昨今は日本人の懐の狭さが目立つし、富裕層は確実に眉を顰めるだろうけれど。
それなのに…年金を抑え、生活保護を厳しく管理する?言葉は告発でも「密告」を奨励して市民同士を監視させ合うという、五人組以上に凄い条例や、プリペイドカードを配布し、内容をチェックして管理指導とか…メンタル無視?家禽のごとき処遇…凄い…日本人には再起不能や自殺が増えそう。自分たちの「桁違いの疑惑」には、さぞや厳しく対処するんだろうな?と皮肉りたくなる。

課税がきちんとなされていれば、「日本国民は、一定の収入以下になると、申請せずとも自動的に一定額まで補填され、日本文化を享受、伝承しうる暮らしを保障する」というシステムができても良いのではないか。それでこそ「国民の文化的生活を保障する」と言える。それもできない政治家や公務員が、一人当たり4〜5万の国民年金や生活保護費の10倍〜100倍〜1000倍等の高給を貪る国って…。
現状の、国家の借金は増やし放題、支出は計上するだけの単式簿記、書類は不備を許さない形式厳守で震災復興すら門前払い…。それを良しとするのなら、事務処理は全てIT化できるし、政治家、外交官、IT技術者、雑用係がいれば事足りよう。真面目に借金を減らす気が起きたなら、必要な精鋭を顧問にでもすればいい。

自分たち自身が、昇給しないと暮らしに困ると本気で思っているのなら、一人当たり4〜5万、あるいは、家族ぐるみ約10万でやりくりする底辺層に感動しこそすれ、贅沢だとか、もっと税を取ろうなんて、絶対に言えるわけがない。
働けど働けど公務員の最低給与の半分にも満たないワーキングプア…児童扶養手当が頼みの綱の子育て家庭…月4〜5万の年金から、自分は利用できないであろう介護の保険料を引かれ、近親者か生活保護に頼らざるをえない年金生活者…不正受給者を除けば、理由は様々でも、働こうにも働けない生活保護受給者…こういう国民が減るどころか増え続けている今、政治家や公務員は仕事が「できている」なんて言えない。そのうえ、爪に火を灯すかのように暮らす底辺層に「贅沢だから管理するのは当然だ」など、よく言えるものだ。やるべきは行政の断捨離だ!まあ、一時期、食事したのを忘れるくらいボケていた身としては、そういう時に独居で、「本当に適切なもの」なら、助かるとは思うが…問題は、それができる公務員がいるのかどうかだ。
[2014.12.28]


格差の固定化という言葉がよく見られるようになったが、一度底辺に落ちたら、その原因が何であれ、二度と這い上がれないのが今の日本なのだから、落とされた人間としては、今更でしかない。とはいえ、ただ恨んでばかりだと、「富裕層の思う壺」でもある。
知りうる限りで昔を振り返れば、底辺は、いつの時代も助け合って生き抜いていたように思える。富裕層は、武士を除けば、今と五十歩百歩ではなかったか。
今はと言えば、底辺層と富裕層は、互いに開いた口が塞がらないほど理解できない思考を持ち、互いがパラレルワールドの住人かのごとく理解できず、互いを思いやれなくなっている。異邦人やエイリアンに助けを請うても、望む支援は得られない。戦後の日本には、そう思わせるほどの格差ができている。まさにGHQの思惑通りだろう。米国の富裕層は、まず間違いなく、これを喜んでいる。ネオナチならぬネオ植民制の完成なのだから。
昔のように、底辺は底辺で助け合うのが一番だ。そして、どの時代の富裕層にも、反骨精神や、真の支配層に相応しい精神を持つ人々が生まれるのだから、彼らと底辺層の上部が力を合わせれば、また福沢諭吉らのような才能を世に出すこともできるだろう。己の人生が詰んだことに満足し、道徳の基本でもある「上は下を導くもの」だという精神を忘れ、運がなく貧しいだけで犯罪を犯してもいない者を執拗に嘲っては悦に入る俗物らに、一体、何が期待できよう。
[2014.12.27]


私は、今の公権力は大切なことほど信用できないと知っていながら、今の今まで思い込んでいた・・・行方不明の子供たちは不幸だ、その親たちはひどい親だ、と。
しかし、間違っていた。今の今、絶望し、必死で隠れたくなっているからだ。我が子に、公権力の「斧」が鋳型に填まれと振り下ろされようと、親でありながら我が子を守る術がないからだ。公権力は、庶民には「心」も「権利」も不要としているようだ。しばしばメンタルケアが叫ばれてはいるが、正しいケアを受けている庶民などいるのか?「富裕層」限定ではないのか?

庶民の訴えには、そこいらの石ころが、なぜか突然、偉そうに目の前に陣取って、仕事の邪魔をしようとしている、という対応だ。家族には絶対にできない行為を、平然と、顔色一つ変えず、表情筋の微動だになく、対応の変更一つせず、遂行する。どんなに助けを請われても、泣き叫ばれても、相手は「石ころ」だから、心は微塵も動かないし、何事もなく過ごしたいのに余計な手間で腹立たしいが、踏みつけるか、拾って捨てるしかない・・・なのだ。
だから、事件性のある一部を除けば、親は公権力に絶望し、その「魔の手」から逃れるために、必死で隠れているのかもしれない。無関係な者は、なぜそんな突拍子もないことを・・・と思うだろう。しかし、今の今、自分がその道に追いやられて、やっと見えたのだ。いかにお粗末でも、他に術なくば、選択の余地はない。

公権力は、コンピューターのように、容易に認証できる対象(=富裕層)以外の、容易に認証できない対象(=底辺層)は、“意志を持つウイルス”という認識しかできない。海外の目があるからポイ捨てするわけにもいかない。しかし、 処理するしかないから、「人」扱いする振りで「ウイルス処理」をしているにすぎない。何事かあっても、知らぬ存ぜぬ、そんなことは言っていない、ちゃんと言ってくれれば良かったのに、と言えば片付くのだから。「人」を「人」として認識できない者が公務に就ける幼稚な時代は速攻で過去にすべきだ。
[2014.10.25]


イジメが問題になり始めて約30年、ボケと闘いながらの8年余り、行政にやるきなんぞ欠片もないと思い知らされるばかり。掛け声を言葉にすれば「完了」とする官僚支配に富裕層が迎合する限り、大多数の国民が救われることはない。誰の思惑、姦計であろうと、世界で唯一のエンペラーを戴く日本の、卑しくも、その嬰児(みどりご)の端くれであるならば、民の行方が国の行方と判らぬなど、支配層にあるまじき怠慢だ。

民を弄り甚振り、追い剥ぎのごとく奪い尽くして悦に入り、その挙句では、外でいかに礼を尽くし、仏のように振る舞い、散財しようと、その経緯が外国からも丸見えなのが今のご時世。日本の富裕層は、新興国や後進国から見れば、十二分に極悪非道だろう。彼らは、貰えるものを貰うために口を閉じているが、王様の耳はロバの耳、物申せる対象があれば飛びつくのが当たり前。慰安婦・捕鯨問題は恰好の対象だろう。であるから、日本人への答えにもあったように、真実がどうであろうと「そんなことは問題ではない」のではないか。
暮らしに事欠く苦しさ、生きるに生き難い辛さを、身をもって知っている彼らにとって、日本で富裕層が庶民にしている仕打ちは、日本がいかに富をひけらかそうと、庶民から搾取した結果であり、彼等にとって、にっくき「富裕層」という存在を存分に責めたてることのできる滅多にないチャンスでもある。世界では、誰しも、搾取するためだけに生かされれば腹を立てるし、搾取する者を憎むのだ。その程度も、日本人ほど慎ましやかではない。

今一つ、先の震災後、世界中から惜しみない支援を受け、日本人の誰もが「何て有り難い」と思ったのは間違いないが、問題はその後。復興が済むどころか、進んでも、取り掛かるまで行っていないところさえあったのに、世界のあちこちで華々しく御礼興行を打った。御礼先行は世界の常識?非常識?
そして、これには相当の財源が必要だったろうが、まさか、義援金を流用していまいな?いや、世界の誰もが勘繰らなかった、と言えるか?復興の足しにと懸命にヤリクリして義援金を寄せてくれた人々はどう思っただろう…被災地には出し惜しむのに…勿体ない…と、思っても、書ける雰囲気ではなかった。
そして今、支援の要請キャンペーンもやりすぎの感を感じていたものを…出るわ出るわ、流用の山。被災地の復興は放ったらかしに近い…。日本では誰も言わないが、外国では、官僚の私腹も…が当たり前。そんなこんなの有様じゃ、文句を付ける隙があればこそ、とならないか?「藪をつついて蛇を出す」という諺があるが、藪はわやくちゃ、蛇は数知れずで、日本の官僚政治が終わりになったらなったで、周辺国家も手ぐすね引いて構えていようが…。
[2014.10.23]


もう何年も前に退会して情報も消去されたものと思っていたベネッセコーポレーションから情報漏洩の「通告」としか思えない書状が届いた。
報告とお詫び???一体、退会者の情報をいつまで死守するつもりだ?!当人はいつ退会したのかさえ覚えていないのに…もっとも、ボケたりしたから色々と曖昧になっているけれど…退会の記録等をし始めたのが2009年のようだから、その記録にないところをみると、それ以前に退会しているはずだ。

情報の保持はブラックリストでさえ5年じゃないのか?一体、何の権利があっての死守?!しかも、退会後のはずの市町村合併による郵便番号や住居表示の変更まで反映されてるし!一旦入会したが最後、永遠に情報を搾取されるなんて恐すぎだろう!
入会も退会も、ハガキで通知を寄こすくらい、熱心に情報を守っているように見えたのは、もう永遠に逃がしませんよ、という意思表示だったのか?
おまけに、わたしときたら、女性のための情報がたくさんありそうだというだけで、学齢期の子供もいないのに、ベネッセなら安心だろうからと、ポイントサイトのノリで、ちょっと登録してみただけというアホさ…退会後も延々と死守した挙句の漏洩を、500円の詫びで済まそう、情報を消してほしければ連絡しろ?まったく、とんでもないサイトに登録していたものだ。

登録抹消が法上の義務でないのなら、早急に義務付けるべきだ。個人情報の保護?役所も企業も漏洩させまくりで、よく言えたものだ。一体、誰から何を保護しているのやら…。ここで、まてよ?と、心の声…これが、新手のフィッシングじゃないという証拠はあるのか?登録は絶対に抹消させたいが、この書状、本当に本物なんだろうか…まずは確認…頭に血をのぼらせるべきはそれからだ。…何て面倒な…。
[2014.10.10]


私は、昔、市職員の試験を受けたことがある。落ちたけど。問題は解けているのに、手が紙の上で待ち構えているのに、なぜか紙に落とせず、全くスピードが出せなかった…。
その感想を一言でいうなら、知能テストのような簡単な問題を解くスピードを競うようなものだと記憶している。市職員という広範囲の業務を行う職種にしては、ひどく違和感があった。今はどういう試験なのかは知らないが、同じような内容なら、単なる秘書ならともかく、市民の代弁者であり、リーダーたるべき存在としては、あまりに人間離れした選考方法だ。単に事務能力を計るものでしかない。そこに感情は必要ないのだ。

しかし、人の心というものは、微妙で、繊細で、事務とは対極にあるものだ。事務能力にどれだけ長けていたとて、医師や弁護士と同等の能力が自動的に備わるものではない。事務能力にいかに優れていようとも、少なくとも、医師や弁護士のような能力がなければ、人の心は絶対に救えない。それを、数時間か、数日かは知らないが、研修を受けただけで資格を与えられるのが公務員だ。
あらゆる公務員が一向に社会を救えないのは、決定的に「不向き」なのにもかかわらず、オールマイティ幻想に取りつかれ、公務員試験に合格したんだからできるべきだ、できるはずだ、できるんだ、できてるはずだ、できてるんだ…という妄想に浸っているからだ。
これは、誇張でもなんでもなく、元公務員たちの中で何年か仕事をして、信じられないことに、確信せざるをえなかったことだ。無論、「例外」はどこにでもあるが、「例外」は、遠からず、必ず、弾き出されるものだ。それも下っ端のうちに。

逆効果ばかりのカウンセリングなど、ありがた迷惑どころか、未必の故意にすら思える。医師でもない者が「医療行為」を行うのは違法だが、カウンセリングは医療ではないとでもいうのか???心療内科という専門分野がある、紛れもない医療だろう?公務員の雇用を増やすためなら何でもありなのか?震災以来、官僚の対応に注目するようになっているもので…何が何でも犯罪の被害者としての賠償金など渡したくないのだろうと思えるが、まず間違いなく、公務員が被害者にトドメを刺して回ることになる。被害はかえって大きくなり、引き籠もりではなかった人までが引き籠もるようになり、引き籠もりだった人は、もっと酷い状態で引き籠もるか、自殺が増えることになるだろう。
[2014.09.02]


ボケがまた少し回復して、全く理解できなかったマニュアルを読んで理解して操作できるようになったのだが、一気に増えた認識可能な情報”を要領よくまとめ上げる力は戻ってくれないようで、文章を書こうと思っても、全然まとめられなくて…いつの間にか、今。しかし、常々思うところがあったものが極まり、頭の中で絡まっている糸を何とかほぐしてみることにした。

さて、役人なんてといくら言っても、殿上人ならぬ天上人には暖簾に腕押し、糠に釘だ。誰しもがそうであるように、自らの権利や威信への悪口に敏感に反応するのは仕方がないにしても…民のそれを無視して憚らない無神経さは、イジメの悪質さが広く認知された今も、不変に限りなく近いようだ。被害者の心中を察しながら状況を改善できないなら存在意義はないだろうに。邪魔でもある。
挙句、やんわりとした物言いではあったが、ボケかけた自分の傍に縛りつけておきたいのか、だと?その心は?そういうことにしてしまいたいから?事あるごとにがっかりさせるのが役人というものか。いつ御迎えが来ても不思議ではない親にしてみれば、不遇な子の自立ほど切なる願いはない。それが普通だろうに、自分たちがイジメや自殺を蔓延させておきながら、反省もなく民を貶める天上人たち。その本分は地域と民の暮らしを支え向上させることにあるはずだが。

いじめとして提訴できる証拠”を詳細に思い出して纏める余力を持つようないじめられっ子が僅かでもいるのは不幸中の幸いというべきだ。なぜなら、人の記憶は余りに苦しいと、生きようとする本能が記憶を封じ込めてしまうことが多く、辛く思い出し難いものでもあり、本人が自由に出し入れできる記憶の引き出しに入っているわけがないからだ。
だから、殆どのいじめっ子が、誰に罰せられることもなく、堂々と、善人然として己の善を語ることすらできるのが現実だ。ネットのコメ欄のネトウヨやニートなどと短絡的に卑下し中傷する権利があるかのように振る舞う類は彼等ではあるまいかと思わせる。

概ね、イジメは犯罪に限りなく近いが、反論もできない幼い子の可能性を成人してなお潰し続ける行為を犯罪以外に何と言うべきか。犯罪を犯してもいない者を社会的に抹殺する権利など誰にもない!
ここ県営住宅に関して、役人が必ず口にするのが「ここの問題です」???住宅供給公社に陳情した時の答は「団地の自治の問題です」???県営住宅には治外法権が適用されているのか???治安は間違いなく市警に依存し、紛れもない市民として諸手続きも市役所に依存しているが???「面倒」は「自己責任」もどきにして責任逃れか?義務は要求するが責任は取らない???

イジメはいじめっ子らが憂さを晴らしたり、楽しむためにやる。だから、刺激が物足りなくなると際限なくエスカレートする。そこまでいくと私刑以外の何物でもない。私刑は娯楽に相当するという記事がネットにもあったが、まさにその通りだと言わざるをえない。傍観者の何%かは、だからこそ傍観するのかもしれない。運よく被害者の意識を前向きに変えられたとしても…周囲に変化がなければ、つまり、イジメ意識がそのままなら、何の解決にもなりはしない。元を絶たない限り、いや、いじめっ子の関係者が一人でも存在し続ける限り、いじめられっ子が死を選んだとしても、止まない。それが今のイジメだ。

元を絶つには何が必要か。関係者”への厳罰と、国庫が代替してでも、被害者の損なわれた人生に対する確実な賠償を行う以外に、その意識を変えることはできまい。関係者とは?いじめっ子は無論だし、市と、学校と、地域(ここなら県住の自治組織)だ。
「最後は金目」?それ以外に何ができる?被害者にしてみれば、損なわれた人生、奪われた学問の機会、可能性、未来を考えれば、断じて、賠償だけで済ませられる話ではない。いじめっ子の私刑によって、生きていく力をつける機会を悉く潰されたのだから、それに対する賠償は、冤罪同様の保障にそれを加味したうえで、断固として確実に行われるべきだ。
[2014.08.23]


「もやし」の豆は殆ど中国産?!あの重金属がいっぱいの土と大気と、農薬と化学薬品まみれの国の?!それをサラダで、ほぼ生で食べる日本人って…食べさせる企業って…。テレビで報道されていたと聞くまで全然知らなかった。ネットで、それを念頭に置いて検索すれば簡単に分かったことなのに。他にも、安全と信じさせられている日用雑貨の危険度の高さには唖然とするしかない。まだまだ日本人を信用しすぎていた自分に嫌気がさす。同じ日本人の生命をそこまで軽んじる日本企業への嫌悪感も増した。
品種改良や大量生産は日本人の英知をもってすれば可能だっただろうに、手抜きもいいところだ。農産物には安全神話ほどのものはないと思っていたのに。ネットで調べれば調べるほど、国産豆の「もやし」はありえないと判る。庶民には高値の花だ。しかし、知ってしまったからには、市販の「もやし」など、サラダは勿論、煮ようと炒めようと、もう食べたくない。「もやし」は庶民の食卓の救世主ではなかったのだから。汚染が恐い中国産も、遺伝子操作が恐い米国産も、論外の某国産も、製品の表示にさえ気をつけていれば避けられると思っていたなんて、とんだ間抜けだった。

日本は、敗戦から復興したと言えるのか?戦後の富裕層は、技術立国を隠れ蓑に、安全神話というまやかしの笛を吹いて、過酷な労働と低賃金で庶民を苦しめ、中世へと退行させてきただけではないのか。でなければ、戦後の復興を成し遂げた今、なぜ、信じ難い不祥事が次々に露見するのか。そして、「もやし」報道は中国産を褒める奇妙な暴露だ。不祥事のスケープゴートにはしたいが、輸入をやめる気はさらさらなく、私腹を肥やし続ける気も満々なものだから、聴く人によっては食の安全神話を覆す報道になってしまったというところか。官僚と企業と政治家が、なぜ反日国の言うなりに“冤罪”を半ば認め、支援してきたのか、なおもしようとするのか、分かったような気がする…。
そんな安全とは言えない物を有難く買わせるために、財政難を呼び、用土・用具を高値にして家庭菜園をさせまいとするのか。外国人移民を低賃金で雇い、日本人庶民から衣食住を奪って子を残せなくし、日本人は富裕層だけにしよう…ってか?ご立派なことだ。日本人はともかく、外国人をも黙らせておけると思うほど、戦後の富裕層は能天気な「もやしっ子」なのか?
[2014.05.14]


日本の水源地をいくつも所有しているサントリーが米国企業を買収、酒類事業の本社機能を米国に移す?グローバル化への称賛が根強い日本の企業が外国に進出するのは珍しくもなんともない。だから、サントリーの買収も耳新しいニュースとは言えないのかもしれない。しかし、酒類事業のみとはいえ、本社機能を他国に移すことは、日本の「水」が脅かされる可能性を生むのではないか?
水は命の源であり、それを外国企業に牛耳られることが何を意味するか、分からない者はいまい。相手が同盟国の企業であっても、だ。どんな同盟も、「強者を自任する者」にとっては、気に入らないことがあれば一方的に破棄が可能な程度の約束に過ぎないことや、対等であってさえ継続が難しいことくらい、誰でも知っている。憲法の「お花畑」部分を「自立可能」に変えたとしても、「水利権」無しで「自立」は不可能だ。

国の「自立」には、全てを自給自足できることが最善で、それがとんでもなく難しいし、すこぶる面倒なものだから、「奪い合い」をエスカレートさせてきたのが人類だ。史実に照らせば形だけに過ぎない条約や同盟であっても、平和的共存への努力が日々伝えられてはくる。が、それを阻む動きも皆無には程遠い。あらゆる意味で、まず「国防」にならざるをえない。
外国人や外国企業が水源地を直接には買収できないよう法改正がなされたようだが、水源地を所有する日本企業が他国に取り込まれる可能性などは、その範疇にあるのだろうか。水源地は動かせないとはいえ、企業姿勢の変化で水源地の所有権や水利権に手も足も出なくなる可能性など、あるべきではない。
[2014.04.23]


凄いの一語に尽きる…先日もだけれど、今日も外は大して高くもない近隣の山がPM2.5で全く見えない!それどころか、中学校の運動場の反対側にある家々の屋根の一部までが見えなくなったりしている!
しかし、本当に凄いのはそんなことではない。そらまめ君は九州全体がほぼ赤一色で、福岡県の速報値も40〜60以上!にもかかわらず、注意報どころか注意喚起すら出さない行政!その運動場で体育をさせている学校!将来、その子供や親たちが訴えても、自分たち公務員が責任を取らされることなんて、今までなかったし、これからもないから?…凄すぎる…。
[2014.03.19]


移民促進!?失業者が巷に溢れているのに!?雲の上に行ってしまうと、下々は日本人に見えなくなるらしい。捏造談話継承もだけれど…保守姿勢は任期半ばで終了か…もうなし崩しかな。TPPもどうなることやら。

雇用があって、暮らせるだけの賃金があれば、喜んで結婚し、子供を育てたくなるのが人間というものだ。それを、どう足掻いても結婚すらできないような雇用形態にした挙句に?世界中の移民問題も、まさかとは思うが、見えていないのか!?そもそも、庶民は結婚したくないわけじゃない!子供だってほしくないわけじゃない!!結婚や子育てができる給料をもらえる仕事がないからじゃないか!!!政治家や官僚は「最低の暮らし」を当選後1年は体験してから実務に当たるのが良くはないか!?

外国人は日本人のように大人しくしない。外国人は少数でも声高に権利を主張し、暴力を振るい、簡単に暴動に走る。そうでない「外国」は世界に数か国しかない。
富裕層はごく少数なのに、大多数を占める庶民が外国人ばかりになったら、それはもう「日本」ではない。「外国」だ。日本人富裕層など赤子の手を捻るように簡単に排除するだろう。移民促進は、日本を「外国人」に熨斗をつけてくれてやるようなものだ。これ以上「日本」が失われたら「日本人」は生きられない!

住めば都というが、日本のような島嶼国が珍しいわけではないのだから、島嶼自体が魅力的なのではない。そこに絶対多数の「良い日本人」がいたからこそ魅力的になりえたのだ。しかし、今、既に治安は乱れ、暮らしにも窮し、日本人の倫理観も貧富を問わず低下するばかり…「日本」は失われつつある。
下の下に等しい人間が溢れている今を、これ以上劣化させようなどは正気の沙汰とも思えない。そんなものを望む為政者を、どうして「日本人」が喜べよう。リセットできるならしたいところだ。
[2014.03.15]


もう、すっかり出遅れてはいるが、政府が声を大にしなければ、高確率で、日本はどちらにも全面的に負けるだろう。そう書いたのはつい先日で、一縷(いちる)の期待を込めて書いたのだけれど…やはりGHQが認めた政党だけのことはある、と皮肉るしかないらしい。まあ、敗戦後約70年、世界的イジメに甘んじてきたのだから、そう簡単にイジメられっ子体質は捨てきれないか。その「元締め」のお膝元での裁判も公正かどうか…思い知ることにならなければいいが…。
公文書の内容をも無視して圧力をかけてくるか…永遠に日本を貶め続ければいいと思ってのことか。しかし、日本人が民族の歴史を忘れさせられても、必然的に、原爆の類の脅威に晒される他の国々には、繰り返される確率の高い忘れられない「歴史」になる。脅威が続くうちに、果たして我々が立ち上がる番だ、という国が出てこないとも限るまい。
今はまださほどではないが、人の欲には限りがない。ましてや狂信的な者は尚更だ。誰が誰を利用しているかはさておき、身の内を徐々に蝕んでいる「もの」が絶対的優位に立った時、下心を持つ国々には、機が熟したと見えるだろう。それを招くも招かないも、今が正念場ではないのか。栄華の夢に酔い痴れていたいのだろうが、酌を強制される我が国も道連れだと思うと…。
[2014.03.13]


世界のあちこちで武力による交代劇が起こっているが、判で押したように、その後も荒れて落ち着かない。しかし、まだまだ教育の格差が著しい現代では、その不満を何度爆発させようと、解消できる確率は「無い」に等しいのが現実だ。不満を解消できるだけの「力」を持つリーダーの存在が欠けているからだ。武力による交代劇には、その後が「前より上」という目算すらなく、ほぼ「前同様」どころか「前未満」が待ち受けている。
国は焦土と化し、経済は破綻し、飢えと病気が蔓延し、国防どころか、治安の悪化も防げない。武力で政権を奪うには、大義以外に、国を一から築き直す覚悟で団結しているべきだ。でなければ、「今」を変化させることで妥協すべきだ。それでもというなら、堂々と不満を言う権利を望める祖国さえ失いかねない。

いつの時代も、弱者はあらゆる面で敗者を強いられる。それでも、全てを「無」にするよりはマシと思えばこそ、理不尽にも、悔しさにも、耐えるのだ。日本人だって、「無」が簡単に「前以上」に変わるのなら、何度でも事を起こしたかもしれない。そうしないのは、噴火や地震や津波による「無」から復興する辛さがDNAに刻み込まれているからだろう。それを近年の焼夷弾と原爆がダメ押ししたのだから、少なからぬ不満の中にあっても、「今」は貴重であり、大切に磨き護るべきものなのだ。
世界の富はほんの一部の所有であり、世界の国々ができる支援には限界がある。世界中にばら撒き続けてきた、経済大国とされるわが国でさえ、貧しさゆえの餓死や暴力が増えている。事を起こすなら、支援なしでも復興を果たすくらいの覚悟でやるべきだ。
[2014.03.05] [2014.03.05修正]


近隣2国が声高にプロパガンダを進めているのに対し、わが国の政府は、真実は変わらない、政治問題にすべきではない、と腰を上げない。しかし、はたして、それで良いのだろうか。いじめられっ子の恐怖心だと言われれば否定はできない。それでも、いじめっ子がいじめられっ子探しのアンテナを磨けば、いじめられっ子の危機察知能力も否応なしに鍛えられるものだ。

公権力を後ろ盾にしたいじめっ子の主張を覆すなどは滅多にできないし、世論は、いじめられっ子のほうにこそ問題があるとしてきた。誤認逮捕にしても、メディアの書き方もあるが、逮捕ではなく任意同行であっても、世間は簡単に犯人と決めつけてしまう。例え、弁護士を立ててさえ、支援者が署名を懸命に集めてさえ、決めつける人が多い。判決が出るまでは、いや、例え判決が無罪でも、“信用度の高い後ろ盾”がいるほうに有利なままになるのが現実だ。
ということは、複数の国家が官民総出で、その権力と財力を存分に使い、必死に世界を駆け回り、声高に、必死の形相で主張するなら、心動かされない者はまずいないということだ。しかも、日本では、ごく一部の国民が権力や財力の後ろ盾もなしに小さな声を上げているにすぎないし、政府はほぼ無視を決め込んでいる。メディアはプロパガンダを真実かのようにしか報道しないし、国民の殆どはプロパガンダしか見聞きできない。日本は後ろ暗いから反論できないのだ、と思われるようになっていくだろう。現に、戦後の世代交代が進み、戦前を知る世代が他界し、親日国ですらプロパガンダに揺さぶられている。そして、人は、少しでも疑念を抱いた相手には、いとも簡単に疑いの目を向けるものだ。

相手が国家規模でやり始めた時点で、どちらが正しいとか、正しくないとかの問題ではなくなったと考えるべきだ。歴史が教えるように、世界の正義や真実は、その程度のものだ。領有権問題と同じで、もう、すっかり出遅れてはいるが、政府が声を大にしなければ、高確率で、日本はどちらにも全面的に負けるだろう。
[2014.02.16]


世は道州制や地方の権限を声高に叫ぶが、それらが吉となるか凶となるかは政治家次第であり、選挙が公正でなければ社会が良くなることもない。わが国の地方選挙は公正だろうか。

今は、引っ越して一定の期間が過ぎれば、その地方での選挙権が自動的に手に入る。それを良いことに、集票の難しい地域に組織票を移動させ、選挙が終われば潮が引くようにいなくなる、そんな「民族の大移動もどき」が、公然と行われていると聞く。人が自由に居を移す権利を阻害することはできない。できないが…公正か?
また、その地域では、本来の住民の希望に反する行政が闊歩することになるが、住民はそれに甘んじなければならない。「民族の大移動もどき」は住民の選挙の権利を妨害したことになる。地方自治の侵害でさえある。それを「悪意」と言わずして何と言うべきか。組織力さえあれば、それが簡単にできるような選挙規定は「悪意」を歓迎するようなものだ。
白人優位主義が根強い米国でさえ、州に強い自治権があるばかりにプロパガンダを簡単に許し、地方が徐々に陥落しつつある。これが戦後秩序の見本「世界の警察」だとは。しかし、一般人が声高に主張するのをはしたないとしがちな日本人は、もっと簡単だったが。国内では、既に、わが国に溶け込む意思のない外国人にも地方参政権を許そうという護国精神を捨てた地方もある。国体を揺るがしかねない権限が地方にあれば「悪意」の標的になって当然だ。
戦争は過去となったが、戦後の偏向教育に洗脳された日本人のほうが圧倒的に多数派だろう。そんな中で道州制や地方への権限委譲を進めれば、統制の取れない事態を招く確率が一気に高まる。今度の都知事も外国人参政権賛成派らしいし…せめて、道徳教育が行き渡った後にしてはどうか。

その偏向教育のお陰か、大阪では、非難を承知で職を辞しても民意を問いたいという心意気に免じ、挑戦を受けてやろう、先輩政治家として胸を貸してやろう、という気が、市会議員らに皆無らしい。公平を期すべきメディアすら、市長を非難する声しか流さない。どっちみち選挙は避けられないものを、わざわざ時間と税金を注ぎ込んでまで市長の失職を画策するのか?身の程を知れ!出る杭は打つ!とばかりに、たった一人に総がかりとは…これって、民主主義?それとも、イジメのお手本?
野党の一致団結も珍しいが、“とことん気に入らない生意気な若造”の市長を村八分にして市政を遅滞させ、何日も甚振(いたぶ)って失職させるだけで議員は高給がもらえるのか…。若さや経験の浅さゆえの至らなさがあるとしても、次代を担う政治家を育てようという心意気が国政にも地方にもないでは、わが国の未来は暗澹たるものだ。先輩議員らは、次世代を育てず、祖国も、子も孫も、その子孫も、ポイ捨てするのか?
世界で初めて人類平等を世界に向けて唱えた日本人はどこに行ってしまったのか。経済界も、国内の次世代を育てもせず、如何に儲けるか、もっと使い捨てできるか、ばかり考えている。先人はこんな日本にするために血を流したのか。あまりに恥ずかしくないか。政財界は日本を他国にくれてやる気か?祖国を背負う者として、次代に「俺の屍を超えて行け」と格好つけるくらいしても罰は当たるまいに。
[2014.02.14] [2014.02.14修正]


わが国の今期の首相は結構ぶれないようだ。思惑が様々な党だから全てとはいかないのだろうし、底辺層としては庶民派でないのも残念だけれど。
ところで、かの国の大統領は極めつけにぶれない。この様子では、雨が降ろうと槍が降ろうと、例え身の危険を感じようと、ぶれないかもしれない。かの国は、自己主張のアピールに眉を顰めがちな日本に、これ幸いと法や教育での反日意識の強化に全力を挙げている。修学旅行で訪れた現代の子供たちに、その独自の歴史観で土下座を強要するお国柄だ。その矛先は、親日の代表的人物の親族には特に強く向いただろうし、「代表的親日」を放置しておくわけがない。一般人よりも徹底的な“教育”を受けたはずだ。それを通常何という言葉で表現するかは敢えて言う必要もあるまい。
日本のGHQによる戦後教育の“成果”にも表れているように、日本の大多数の大人が屈した類の圧力に、アイデンティティの確立途上である子供が耐えられようはずがない。微動だにせぬぶれない“強さ”の源は、良くも悪くも、“教育”にある。米国は、戦勝国の権利意識よりも重視すべきものに、とっくに気づいているはずだ。自虐を美徳と教えられた日本人とは対照的に、今の今も、米国に席巻せんとばかりに満ち満ちているのだから。
[2014.01.29]


TOP 2022 2021 2020 2019 2018 2017 2016 2015 2014 2013 2012 2011 2010 2009 2008 〜2007