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家庭の指導者は親であり、機敏かつ臨機応変に役割分担をしないと、なかなか、すべてを一人で負いきれるものではない。ことに、机上の空論ばかりが右往左往する現代の子育ては、両親がそろっていようがいまいが、陸のない荒海を航海するように、艱難辛苦の大波ばかりが押し寄せる。
人の子育ても種の保存本能にはちがいない。が、野生動物とは違うのは、精神的には人としての道を教え、親である自分をも超えてほしいと願い、社会的には少しでも楽なようにと蓄財し、力尽きるまで子育てに全力を尽くすことだろう。
親は幼い子にとって絶対的に完成した手本であり、何でも真似をして覚え身につけながら育つ。しかし、子は、育つにつれて親のアラを見つけ、親が完璧の見本ではないことを知る。親は元々ただの人?なのだが、見よう見まねで必死に生きる自分の、絶対的な手本でありヒーローでなかったのが腹立たしい。ヒーローでもないくせに命令ばっかりするな!こんな親になんか、とやかく言われたくない!などなど…。かくて反抗期が始まる。それでも親は親である努力をやめない。 昔は、妻帯者であることが出世の条件とされていたが、一理あるのかもしれない。形骸化して形だけが重要視されている風習は忌み嫌われるが、そのなかに隠されている教訓は見過ごしてはならない。妻帯者という言葉にこだわるとそれは見えてこない。
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![]() 結婚すれば必然的に子が生まれ、子を育てるために艱難辛苦を乗り越えて努力し、人は子の親としても成長する。妻帯者であることが出世の条件であるとされたのは、あくまでも、社会における成人としての心構えができているかどうかを見る物差しとされたのだろう。国を子供に見立てるならば、それは国を育てるための心構えとしても、非常に重要ではないか。
だからこそ、妻帯が条件とされ、大切な何かを育てるという基本的な経験を享受していないということが、基本的な苦労もしていない未熟者とされたのだろう。家庭を維持し、子を育てあげることがそれほど大変だということであり、社会生活では、大切なものを守るという信念や行動が何にもまして重要だということでもあるだろう。
昨今では、大人はお金儲けに、子供はイジメに血道をあげ、人を侮り陥れる。民主主義を背負う人材を育てるための民主教育もおざなりにされている。増税につぐ増税で、結婚し子供を産むことは金持ちの特権にもなりかねない。現実は希望を砕いてばかりいる。
大切なものが人であれ何であれ、大切なものを育み慈しむ心なしに国を育み慈しむなど、できはしない。その経験も心も持たない者に舵を任せられるほど、容易な国政であるはずもない。指導者にその心を感じ、ただの人間を越えた卓越した能力を感じればこそ、人は惹かれ希望を託すことを喜ぶ。
[ 2006.8.31 ]
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