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イジメられっ子 REVOLUTION
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生きる権利イジメ差別イジメ?被害妄想?登校拒否は心の防御アテンションプリーズ?知りたい心、知る権利はぐくむということ人を裁く大人になるということ外を歩く自由清く正しく飢えて死ね?指導者の条件投票するだけで変わるしきたりと人権始まりの無差別攻撃家庭から世界へ敗戦の爪痕ジェンダーの魔女狩りバブル味イッチョー!

外を歩く自由

老人が外を出歩くのは健康に良いといって勧められている。しかし、若者だって、1ヶ月も寝たきりになると筋肉がなくなって歩けなくなる。それなのに、若くして不自由を強いられた人の外出を贅沢と決めつける人があまりに多い。
しかし、動物は死の間際まで本能的に動こうとするし、人だって、何の安らぎもなく、不自由に甘んじながら死ぬのを待てるものではない。それに、動けるかぎり少しでも動かなければ、一日中、いちいち他人の助けを求めてばかりいられない。

しかも、障害者には五体がそろっていれば該当しないという。該当しなければ、仕事ができる身体ではなくても障害年金はもらえない。障害手帳ももらえないから交通機関等の割引もない。行政は『福祉は慈善事業ではありません』と言って助けようとはしない。市税、健康保険税等の納税義務の免除もなく、義務は溜まりながらどこまでも追いかけてくる。
たとえ不治の病で死が目の前にあるとしても、健康保険税が払えず健康保険証を取りあげられれば病院に治療を受けに行くこともできない。あるいは、一日でも早く社会復帰して働かなければ、病死する前に餓死するかもしれない。外に出ようという気概は社会復帰しようとする気力に通じる。一日も早い社会復帰のために、出歩くための援助があってもおかしくない。

不自由な人にとっては、外はおそろしく歩きにくい。道路の段差は目に見える。が、道路にでこぼこがあるだけで、砂利があるだけで、砂があるだけで、濡れているだけで、危なくなる。しかし、それを恐れて閉じこもっていては、いつまでたっても外を歩けない。また、中途半端な不自由者のためのリハビリ施設はどこにもない。狭い家のなかでできる訓練は限られる。となれば、外を出歩く以外にない。
ましてや、不自由になる前は外出が好きだった人や、元気に仕事をしていた人は、閉じこもっていると鬱々となる。じっと家に籠もることを強いられるのを苦痛と感じない人がいるだろうか。外に出たくなるのは自然なことで、咎められることだろうか。
人が口を揃えて外出を咎めるのはなぜか?そこには、自分にとって卑しむべき対象であるものが、自分と同じ土俵に上がろうとするのが『許せない』という健常者の傲慢さがありはしないだろうか。

「今日は。お体が不自由で、大変ですね。でも、昨日は出かけてたでしょう。病院?おられなかったでしょう?病院?」

不自由な身で外出しているのを見ると、しばしば口にされることば。病院以外には外出してはいけないかのようだ。不自由なのに出歩くなんて、本当に不自由ならおとなしくしてるもんだ、と言いたいのだろうか。そう言われると、つい、外出を隠したくなり、神経を尖らせることにもなる。

人には、人より優位でありたいという欲がある。相手が自分より弱いと見ると、その欲が頭をもたげる。不自由な人を前にすると、条件反射かのように自分が健常者であるということを優位に感じる。すると、相手が取るに足らないように思える。だから卑下する。だから、悪さを咎めるように、口をそろえて「出かけてたでしょう。」と言う。
あるいは、外に出ようという気概に圧倒されると、コンプレックスを感じてしまう。だから、不自由なくせに、と、這いつくばらせておきたくなる。悪さをしているのを見つけたかのように得意になり、大いなる身勝手の権化になっているのには気づかない。「余計なお世話!何もわからないくせに!」と言いたくとも、健常者は自由に動ける。枝葉も尾ひれもつけ放題。だから、ほんとうに後が怖い。
[ 2006.10.22 ]
[ 2007.5.5.更新 ]
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★一言★

外に出て全身に陽の光を浴びる心地良さ。誰にでもできることなのに、イジメや差別はそれを取りあげる。外に出ると虐められる。差別される。出歩けるくせにと中傷される。辛くて外に出られない。
だから、イジメや差別の街を離れてみよう。少しでも多く出られるように安い切符を手に入れて、少しでも遠く、日帰りでも、ネカフェに泊まっても、一人でも、誰かと一緒でも、知らない街にいるだけで不思議に少し楽になる。


★こころ★


私事そのものになるが、わたしは痛覚が少々普通じゃない?らしい。臓器を二つも取る開腹手術をしたおりに、少しでも早く動いたほうが早く退院できるという医師のことばを信じ、術後すぐに右に左にと身体を動かして看護士を仰天させ、痛み止めも断った。そして、良性か悪性かの判定がくだる二週間後を待ちかねて退院した。
腰椎を骨折したときも、入院費がなく、幼い子供がいたこともあり、ギプスはしたが入院はしなかった。あとで、誰も骨折だとは信じていなかったのに幾度となく気づかされた。子供達を施設に入れてでも、か弱げに入院すべきだった?皆、裕福だから根性がないだけじゃないの?と叫びたかった。

車にバイクごとはね飛ばされる前は、森の空気が気にいって、わざと山道を選んだりしていた。それを、ウィンカーも出さずにいきなり左ハンドルを切った車に、永遠に断たれた。もう何年も経ってしまったが、好きで不自由になったのでも痛み止めを常用しているのでもない。痛み止めがないと、身体の自由が、手指までもが利かなくなる。気力もなにも役に立たない。
それでも、外に出たい。好きで不自由なのでも、働けないのでもない。自由がほしい。閉じ籠もってなどいたくない。行けるところまでバイクで行ってみたかった。未だに森の匂いを思いだす。そういう人間に向かって、収入もないくせに出歩くのは贅沢だという。すべてを人に頼るしかないのが、子供に頼るしかないのが、情けないわけがない。そのうち老人になるんだから諦めて寝たきりになれというのか。ただただ、死ぬまで無為に生きろというのか。

ただ、宗教に根ざした精神から、心底気づかってくれる人たちもいる。そういう優しさに出会うと、辛いときに入信したくなるというのは本当だな、と実感する。それをしないのは、宗教というものにどうしても馴染めないのと、信者すべてが善人であるとはどうしても思えないからだ。でなければ、とっくに入信しているだろう。苦痛のなかにあって受ける優しさほど心に沁みるものはない。
[ 2007.5.5 ]

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