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時の政治に抗議するために投票に行かないという人は多い。選挙権は自分の権利なのだから、投票に行かないで損をするのは自分では?なのに、なぜ?
一番は、『面倒くさいから』となるのだろう。しかし、これは言葉そのままの場合もあれば、弱者の身を守る建前の場合もある。権力者に睨まれると、仕事も、わずかな財産も、残らず取りあげられてきた社会構造は、今も根強く残っている。だから、面倒な目にあうと『面倒くさいから』行かないほうが面倒な目にあわなくていい、となっても不思議ではない。
敗戦で何が変わったか。表面の社会構造は大きく変わったが、権力の構図は残った。弱者はあくまで弱く、強者はあくまで強い。しかも、資本主義の徹底で、お金=権力とはいかないまでも、その構図がより強くなった。
二番は、『やるだけムダ』と思いこんでいる、というか、思いこまされているからだろう。しかし、権力というのは、底辺層が圧倒的多数だからこそ『権力』という名で呼ばれるのであって、抑える底辺層がなければ、権力と呼べるものの有りようはない。
権力の構図の上部にいるのは極々一部でしかない。上部層から見れば、その支持層を除けば、残る全ては底辺層にすぎない。『底辺層=中間層+庶民』で、底辺層は圧倒的多数を誇る。選挙の前だけは違うようだが。それが『やるだけムダ』となるのは自分の持つ権利を正しく覚えていないか、正しく教えられていないか、だ。
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![]() 政治への不信感から、あるいは、面倒くさいから、棄権する(投票に行かない)と、その1票の権利はどう影響するか。議席が得票数に比例して変わる《比例代表制》をもじって、ごく簡単に例をあげてみると…。(ちょっと簡単すぎる気もするが…)
あくまでも仮に、『有権者の総数』を1000人とし、『与党の支持層』が300人、『野党の支持層』が700人で、与党1党に対し、野党が3党あり、その野党のうち1党は野党でも群を抜いた得票率を維持している、とする。
![]() ![]() 抗議のつもりで棄権しても、逆に応援することになるのでは、投票に行くしか道はない。意思は行動で表せ、行動あるのみ、というところか。しかも、最近は政治に対する不満の声がどんどん大きくなっている。ここで全有権者が投票すれば、政治が変わる可能性も、政権が交代する確率も非常に高い。
[ 2007.6.15 ]
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