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イジメられっ子 REVOLUTION
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人を裁く

子の親への裁き

人は人を簡単に裁く。はたしてそれは正しいのか。自分の目は身勝手に過ぎてはいないか。《他人》に大きな迷惑が及ぶとき、それを避けるために《他人》は人を裁く。そのとき、《他人》は身勝手ではないといえるか。人が《他人》に及ぼす迷惑が、《他人》の不正や身勝手によるなら、人は裁かれるべきではない。裁かれるのを許すべきでもない。
ならば、糺し正す権力は絶対であるほうが良い。しかし、残念ながら、その権力が、何にも偏らず正しく不変であったことは未だかつてない。たとえ世界中を探したとしてもないだろう。あらゆる法がその時々の権力者の手によって作られる。それが万民のためになったかといえば、いつの時代もそうはならなかった。人が人を裁くのは、神仏の領域なのかもしれない。

それでも、罪を裁かず野放図にするなら、一時として安らげるときはないだろう。人は生きるかぎり全ての欲を捨てることなどできない。すべてと縁を切り世捨て人になろうと、人生を懸けて身内を守ろうと。それは、切り捨てられたものから逃げたいという欲であり、正しくありたいと願う欲といえる。生きること自体が欲といえるのかもしれない。死んだときに、やっと欲とは無縁になるのだろう。
人は十人十色。同じ教育を受けても、その受け入れようは違う。ストレスを感じても、効果のある解消法は、安らぎの求めかたは違う。喜びの内容も違う。人に良かれと思っても、人に良いとは限らない。良くない場合、《良かれ》は《身勝手》に変わってしまう。人はその過ちを避けるために思考する力を身につけたのかもしれない。
親は、良かれと子に対する。子が、それを空気のように『当然』として育つなら、親の努力は報われているのかもしれない。しかし、親の真実の姿を子は知らない。なぜなら、わが子を温もりの中で暖かく育てたいという親の望みが、それを知らせるのを許さないから。温もりの中で育てるべきだとする親の義務感が、それを知らせるのを許さないから。
わが子が例え何歳であろうと、誰がわが子にひもじい思いをさせたいだろう。自分はちゃんと食べたふりをして、『まだ小さいんだから、贅沢はダメよ、これがあなたの分よ』と食べさせたりもするだろう。死んだほうがましと思っていても隠し通し、子には、『大丈夫、何とかなるんだから』という笑顔を見せるだろう。
そして、子は親が食べていたと信じて、あるいは、親は贅沢していると信じて育つ。親は苦しみも悲しみもなく能天気に生きていると信じて育つ。血を流すような思いを子に悟らせなかったとも知らずに、親への不満を確実に募らせながら。

子がそれを知る機会は、親として子を育てるようになったときしかない。しかし、その頃には、子の記憶はおぼろになり、親への不満は固定化してしまっている。それを覆すには、時をさかのぼるしかないかもしれない。結局、子がそれを知ることは殆どない。
子がそれを知らないままに終わるなら、無償の子育てはこれに尽きるのかもしれない。しかし、知ったならば、子は、どれほど自責の念に駆られるだろう。苦しみを少しでも分けてほしかったと思うだろう。真実を教えてほしかったと思うだろう。
何にしても、見える現実と固定観念がじゃまをする。真実は判りがたく見逃されやすい。親が生きているうちに気づくことは少なく、自分が余生に甘んじるころになって気づくことが多い。親が生きているうちに知りたかったと、気づいた者は、誰しも思う。
[ 2006.5.18 ]
[ 2006.9.19.更新 ]
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★一言★
人の力量は見る人が見れば判る、と言えば聞こえはいいが、どれほどの人間にその見抜く力量が備わっているものだろうか。見抜いたつもりで人を裁く人が、自分の力量を把握しているとはかぎらない。人は、人が不完全であるということを自覚し、人として得うる力量を把握するほど、人が人を裁くことに困難を覚えるものだから。

ちゃんとした生活をしているのは人徳があるからだ、と胸を張る人がいる。しかし、人には、そこに至るまでに様々な道程がある。現に、明らかに人徳の無い人がちゃんとした生活をできないでいるだろうか。逆もまた然り。
人が人を選別する必要に迫られる時は、長い人生に何度となく訪れる。その時、その財や地位権力を見て選別すべきではない。互いの地位権力に関わらず、それをする人と交わる人生を歩むなら、深い後悔の日々が訪れるだろう。『朱に交われば赤くなる』という。傍目には朱に染まって見えることも承知すべきだろう。
公的書類を要するとき、周囲の人々の権利を無視して、自分の権利だけを主張すれば過ちを犯しやすい。それが法に適っているかどうか、全てを明かして専門家の助言を仰いでおく必要がある。それが躊躇われるなら、自分の主張が間違っている、あるいは、間違っているかもしれない、と、心のどこかで考えているからだ。
周囲の誰かがそうするときにも、同じことが言える。そのとき、権利を無視された誰かが全てを明かして専門家の助言を仰げば、道は開けるかもしれない。

色々な偶然が重なると本当に偶然なのかを疑いたくなる。それは当然ではあるが、人は疑心暗鬼になると過ちを犯しやすい。確たる証拠を見出せないなら、大きく一呼吸して、疑いは疑いでしかないと信じよう。
★こころ★

「どうしたの、 いくよ。」
「これも かっちゃ ダメ?」
「ダメ、 一つだけに しなさい。」
「もう 1こだけ! いつも 1こだけなんだもん。」
「ぜいたく いわないの。 じゃ、 これやめて それにする? そうやって いっつも かってると おかねが たりなくなるんよ。 ごはんの おかずが かえなくなったら いやでしょ? おかねが いっぱい できたら かってあげるから、 がまん しようね。」
「うん、 じゃあ、 おっきくなったら、 いっぱい おしごとして、 おかね ためるね。 そしたら、 かっても いい?」
「そうね、 おおきくなって、 いっぱい おしごとできて、 いっぱい おかねが たまったらね。」
「うん! だから、 がまんする。」
「おりこうさんね。 でも、 おおきくなったら、 ほかに ほしいものが いっぱいよ、 きっと。」
「う〜ん、 でも、 おかね いっぱい ないから、 いいよ。」
「えらいね。 ほしい ほしいって なかないから。」
「・・・ねて? や〜! はずかしぃもん。 ひとが いっぱい みて。」
「あはは、 そう?」
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