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美徳という欲

時代や政治形態が変わっても、人は変わることなく欲を出す。法の抜け道を探りだし利用する人間もいる。どこにでも、いつの時代にもいるが、それを排除すべきだと思わない人はいないだろう。それなのに、人の未来を奪った人間が何の償いもせずに生き続けられることが、あまりにも多くないだろうか。
今の文明社会では、《更生の機会を与えるのが社会人の義務であり、美徳である》と言われている。だから、自分が、奪った人間である加害者の未来を案じないのは、崇高な思想に対する罪悪のようにさえ感じてしまう。
人は、自分がそれをできた時、その美徳を誇り、他人にもそうすることを強いる。そして、同様にできるかどうかで人に優劣をつけ、従わない人の人徳を卑下し嘲り、疎外してしまう。そんな中にいるのでは、そう感じることは避けられないのかもしれない。

しかし、不公平なことに、犠牲者の引き裂かれた未来、それを案じるものが、そこには、全く、何もない。そのうえ、犠牲者に対してまでも、加害者に対する美徳が、暗に、あるいは、露骨に要求される。その結果、犠牲者だけが、引き裂かれた未来に甘んじ、償いを受ける権利を放棄することを強いられてしまう。
犯罪として認められれば法が償いをさせるかもしれない。それでも、どんな理由にしろ、犯罪として立証できない、認められないばあいは、犠牲者ばかりが犠牲を強いられ、泣き寝入りさせられる。それが、なぜ民主的といえるのだろうか。
犠牲者が自分なら、償わない加害者を許すなどとは、誰しも言いたくないだろう。罪は償われてこそ許せるものだから。自分の徳をひけらかす、あるいは、自分の不徳を隠すために人を不徳と責めようとしていないか。そこに《美徳を行うという欲》がありはしないか。
犠牲者の救済を第一にし、それができた分だけ加害者の罪を減じれば良い。それが贖罪というものではないか。被害者を救わずに美徳を誇るのが、欲でなくて何だろうか。

救う力がないために、見て見ぬ振りをするのはしかたがない。知らずにいたのもしかたない。しかし、その社会の一員として被害者を救い、その小さな罪を償うべきではないのか。それなのに、被害者をおざなりにしてしまうのはなぜだろう。他人だから加害者を許すほうが簡単で、より美徳を誇れるからだというなら、美徳の仮面をつけた欲でしかない。
犯罪にならなくとも、人は、誰かが自分の未来を引き裂いたとき、当然の権利を訴える。だが、誰かが他の誰かの未来を引き裂くとき、誰かは相手の権利を考えるか。自分か、自分の家族が故意であれ、不本意であれ、誰かの未来を引き裂くときに、考えるか。美徳の影には、それを言う人、あるいは、他の誰かの損得が隠されているかもしれない。
誰かが美徳を説いたとき、なぜそう言うのか見極めてからどうするか決めないと、未来を失うかもしれない。従う前に、相手がそれだけの信頼に足る人間かどうかを、全身で見極めなければならない。
[ 2006.6.7 ]
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★一言★

恨み辛みの良い点は、人が一人になっても生き抜く力になること。
悪い点は、人が人と支え合うための力が少しずつ壊れていくこと。

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