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イジメられっ子 REVOLUTION
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支配の源

人の体内には狩猟民族の本能が息づいている。成人同士の駆け引きは、それらの狩りや戦いのような高揚感をもたらす。しかし、それでは自分がいつ支配される側になるかしれない。それは何としても避けたい。ならば、成人する前に支配するようにすれば自分が負けることはない。人が幼ければ幼いほど、弱ければ弱いほど、無能であればあるほど、自分が支配される恐れはない。
だから、イジメは神代の昔からあっただろう。人は、人が思考するようになったそのときから、自分の力を人に示すために使っただろう。親が子を。強者が弱者を。そして、支配者が被支配者を。人はそれと知らずに習得してしまう環境に生まれる。
力を実力以上に誇示すれば人を支配できる。人の力をねじ伏せれば、自分の力を誇示できる。そうすれば、力によって人を意のままに動かせる。自分一人ならば動かせないものを動かすことができる。それによって、自分の力がより強大になったように思わせることができる。そして、より多くを支配することができる。

良くも悪くも、人の社会はそうやって作られ維持されてきた。人は強大な支配者の手のなかで生まれ、そのなかで一生を終えた。生活に工夫が凝らされ便利になるにつれ、持てる力により格差が開いた。力を持つ者はそれを当然とし、力を持たない者は搾取されるだけの一生に不満を募らせた。
かくして革命や戦乱の火の手が上がり、人類の平等を掲げる民主主義が被支配者層に諸手を挙げて受け入れられた。誰もが競って住み良い社会を夢見、支配者をその生け贄にすることさえためらわなかった。そんな血生臭い現実の中で、やっと民主主義は陽の目を浴びた。支配されることしか知らない者がすべてを支配できる時代になった。
過去の支配者たちは支配することが目的であったから存分に抑えれば事足りた。しかし、民主主義の指導者は、誰も成したことのない偉業を、人類すべての平等を妨げずにやりぬかなければならない。しかし、支配が目的であった過去の指導者を手本にすべきではなかったのではないか。過去の支配者たちの悪意の影響のこもったものを、何であれ、中心に残したから、また支配する社会になろうとしているのではないか。法律用語やその解釈となると、中心に立った者がそれを意識していなかったとは思えない。これからは民主主義を掲げてはいても自分こそが支配するのだと考えていてもおかしくないのだから。
まあ、人類すべての平等を妨げない施政がなされるのなら、誰がどういう政治をしても民主主義だとはいえる。たとえ支配が目的であっても、その支配が支配者にさえも平等であって、誰かが誰かを支配するという構図さえなければ、民主主義を逸脱してはいない。しかし、危うくはある。支配者の心変わりで、一瞬にして民主主義は崩壊する。

今はそんな時代かもしれない。敗戦によって押しつけられた民主主義であればなおのこと。中心に立つ者たちは、いい加減、民主主義の隠れ蓑に飽きているのだろう。自分が楽をするのは良いが、他人が楽をするのは許せない、誰の周りにも、そんなやからは掃いて捨てるほどいる。中心にそんなやからがいないはずがない。
それでも社会は動かないだろう。隷属してさえいれば自分の首だけは絞められる恐れがないという短絡思考への洗脳を、大多数が嬉々として受け入れているかぎり。自分が洗脳されているかもしれないと疑い、自分の思考を、人のあるべき道に照らし合わせる勇気を出すべきだろう。いつの時代も洗脳は珍しくない。宗教もどきを押しつけられていないだろうか。寄りかかりたいなら、昔から続いてきた宗教のほうが人の道に通じている。散々為政者に悪用されてはきたが、本来は民の安らぎのために生まれたものなのだから。
[ 2006.11.19 ]
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