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五十歩百歩

人は十人十色、全く同じ思いを抱くことはない。それは誰でも知っている。しかし、いつも念頭においていると言えるだろうか。知っていても生活のなかに活かせなければ、知らないのと変わらない。結果は同じなのだから。

親は、子を無条件に保護する権利と義務を持つ。子はそれを当然の権利として育つ。
また、親は、子を、自分が望むような人として育て教える権利と義務も持つ。子は、それを受け入れて育つ。しかし、自我の目覚めとともに、不足したままを受け入れて育つしかなかなかった、という不満を感じ始める
人が考える動物である以上、どんな親子関係も、それを避けることはできない。子供の人権が叫ばれ始めてから何年もが過ぎたのに、その不満は軽くなってもいない。親が子に不満を持つなら、子が親に不満を持つなら、誰かが誰かに不満を持つなら、そして、持ったなら、胸に手を当てて考えてみるのがいい。

人が、もっともっとという煩悩の生き物であるかぎり、わずかな不満も持たない人がいるとは思えない。そして、その不満がどれほど僅かであっても、思考のすべてに影響させてしまうのが、まさに人なのだから。
ないものねだりという非難を含んだことばは好きではないが、隣の芝生は青い、という諺もある。大差のない隣の芝生が、いやに青々として見える。自分はそんな見間違いはしない、その程度の良識は持っている。今まさに、誰もがそう思っていないだろうか。
例えば、兄弟姉妹のなかの一人の目には、しばしば他の兄弟姉妹が自分より可愛がられているように見える。一念発起?して、他の兄弟姉妹と腹を割って話してみると、少なからず目から鱗が落ちる思いをする。
信じられないだろうが、互いが、互いに、他の兄弟姉妹のほうが何らかのひいきをされている、と思っているものだ。親がその中の一人をひいきしているとしても、そのひいきされている者も、他の兄弟姉妹に対して、必ずその不満を持っている。
互いが腹を割って話しあえたなら、歩み寄り許しあうと良い。できるなら、手を取りあうと良い。なぜ、できるなら、なのか。血のつながりは他人同士よりも思慮分別を無視した憎悪を生んでいることも多いから、ことに遠慮のない家族という単位では、話すのが遅すぎるばあいもある。話す場を持つことさえできないこともあるからだ。
話しあうのは年齢が若ければ若いほど良い。まだ成熟途中の若い精神には、幼いころのような受け入れ精神が多く残っているから、自らの過ちを受け入れる柔軟さがあることも多い。

一人でおろおろしていると、限られた富の奪いあいに呑みこまれてしまい、お金だけの繋がりしか持てなくなることも多い。誰かと手を取りあえば危険が減る。しかし、腹を割って話すのは未来を預けることと同じには違いない。だからこそ、まず、他人よりは蹴落とされる心配の少ない兄弟姉妹がいい。
誰かと手を取りあって生きられれば、次の世代の安泰にもつながる。腹を割った歩み寄りは難しいけれども、一旦手を取りあえれば、その結びつきは非常に強固になることが多い。とすれば、努力する価値は大いにある。
無論、手を取りあう相手は誰でもいい。腹を割って話せる他人に出会うなど、そうあることではない。歩み寄ることも許しあうこともできなければ、例え血のつながりがあろうとも、手を取りあうことはできない。運良くその貴重な出会いを持てたなら、多大な努力を注いでも、その手を離すべきではない。
[ 2006.6.10 ]
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★一言★
自分には当然でも、他の人には贔屓に見える。
そうかもしれない。
けれど、他の人は他の人で、自分を見るときに何かしらの色眼鏡で見ているのかもしれない
説明不足は誤解を生む。説明や言い訳は必要。

信用されていなければ、説明も言い訳も許されない。となれば、説明も言い訳も許さない相手こそ、信頼に値しない
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