以前は良い響きを持っていたこの言葉なのに、最近は、聞くたびに不快な思いをする。自分は言うに及ばず、庶民の生活が逼迫してきている影響だろう。

ある病院の待合室で耳にしたときは耳を疑った。そう言われたのは、労働者風の若い男性で、頚椎を傷めたらしく保護具をつけていた。それを言ったのは五十年配の看護師だった。思わず看護師の顔を見ると、悪気がありそうには見えなかった。態度も、単なる看護師と患者という間で交わされる言葉ではなく、知りあいが言葉を交わしたようも思われた。

しかし、言われた男性を見ると、想像に違わず、返すことばもなく憤りを堪えているようだった。それに、肥満というほどの体型でもない。肥満は何も飽食でとは限らない。庶民がお腹を満たすためには、お腹に溜まる比較的安価な澱粉質が主役になり、栄養は二の次三の次だからだ。太っていると非難する人こそ、そういう前に、自分が痩せていられるのは、体質なのか、お金をかけているからなのか、胸に手を当てて考えるべきなのだ。

若い労働者が、仕事に行けず、通院を強いられるのは、当人や家族の生活を考えると、昨今は特に痛ましい。経済的に余裕があるなら、病院の待合室に仕事着で、沈痛な面持ちでいるわけがない。今の労働者には保証などない。仕事に出られなければ生活はすぐに逼迫するだろう。

言い置いてさっさと逃げた看護師は、悪気がなかったですませるだろうか。それとも、捨て台詞でスッとしているだろうか。だが、それより何より、生活を脅かされている当人はどんな気持ちで聞いたことだろう。患者の気持ちを治療に専念させるべき看護師として、あまりに無神経な一言だった。

その男性は、その後、ずっと、無言だった。怒りを抑えた顔を見てしまったものの、かける言葉が見つからず、その看護師の消えた方向を無言で睨むことしできかなかった。

誰であれ、どんな地位にあろうとも、人を不当に貶める権利はない。また、それが例え罪人でも、その罪以上に貶める権利はない。看護師とて同じ労働者だろうに、隣の芝生（この場合はその男性）が生きているだけで気にくわないのだろうか。富裕階級が労働者を卑下するのはしばしばだが、昨今は、同じ労働者階級でもこのようなことが間々ある。

貧富の差はいつの時代もあるが、思いやりの心や言葉までが庶民の心から消える時代がどれだけあっただろうか。思いやりの溢れた逸話が今も語り継がれ、メディアでも美談のオンパレードだったりするのに、何故だろうか。

意図されたものでないなら、こうも不自然に消滅してしまうだろうか。赤という密告の時代、近年の軍国主義以来の国民性ではないだろうか。それならば、教育で教え込まれたものだから、教育で消せるだろうか。

日本人は臭い物に蓋をする民族だとよく言われる。それが形だけの平等の政体とはいえ、違う階級ならともかく、同じ労働者階級で傷つけあうほど社会が荒んでいるということだろうか。半世紀以上前の軍国主義や、衆愚政治に近づいているように思える。それほどに、人は堕落したのだろうか。

そのうち、誰も彼もが、他人が息をしているのも、自分より良い思いをしているように見るようになるのではないだろうか。そして、自分だけが得をしていると安心し、なお人を嘲る。他人が得をしているように見えるだけで我慢ならない。そんな恐ろしい短絡思考が限りない犯罪につながるくらい、小学生だってわかる。

平等の精神や思いやりの心は、無心な子供時代につちかわれる。自我の現れる幼児期から、思春期にいたるまで、道徳の時間を必修に戻さなければならないと、日本のリーダー達は考えないのだろうか。上層部の考えるゆとりの教育が、現場ではしょりの教育になっている？のだろうか…。

世界で戦争が絶えたわけでも、安全が約束されているわけでもない。日本人同士で精神的に傷つけあい、殺しあうバトルをしている場合でも、他国の愚かさに同調している場合でもない。他人の振りを見たら我が振りを省みて直すのは、考える高等生物たる人の最高の特質だろうに。