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子育て親育て

誰が、最初から自信があるだろう。自分は親として最適だなどと、なぜ言えるだろう。暗中模索の毎日のなかで必死にベストを尽くすのが、誰にとっても現実であるはず。
ただ、人は本能だけの子育てはできない。人は、自然界に君臨する霊長類なのだから。親は、自然の掟ではなく、人の掟に従うよう育てなければならない。ただ食べさせるのではなく、人倫、人の道を教え、その精神を育てなければならない。
しかし、人の社会は完璧ではありえない。その子育てには、絶え間ない忍耐と努力が要求される。

だからこそ、子を育てる親は、子の成長とともに親として成熟しなければならない。あるいは、より成熟した者の助力が得られなければならない。あるいは、その社会で試行錯誤を重ねて熟成し蓄積された知恵や助力を得られなければならない。
人は、親になるために成熟し、親として育つ努力を惜しんではならない。親は、子が親として育つ努力を惜しませてはならない。親の努力は報われないかもしれない。しかし、その努力を惜しむならば、親になるべきではない。子供は、ただ大きくすれば良いのではないのだから。
個人にできる最大の努力の結果は小さなものだけれど、とてつもなく重い。親の最たる仕事は次世代を遺すことにある。真実そう願うならば、取るべき姿勢は自然に定まり、他はそれに追随する。次世代の幸福な繁栄を願うなら、今の社会をより良くすることは当然の選択になる。
現代でも、社会的に一人前と言われたいというだけで結婚し、子の親になることもある。しかし、親になったそのときでも、その後でも、覚悟を決めるのに遅いということはない。子育てをしながら、親として育てばよいのだから。

しかし、社会も教育者も、子供すべてが不良であるかのように扱い、規則でがんじがらめにしてはばからない。子供は油断すると不良化するとして、親の、子を信じる気持ちが子を不良化させる、と、ありもしない親の不徳を責める。一部の子供のために、全体を非難中傷するべきだろうか。非行の蔓延は大人の厚顔無恥な手本を真似ているにすぎない。
非行を恐れるあまり、親の無償の愛情に、子の無心の信頼に、親と子のその絆に、疑心暗鬼のひびを入れるなど、断じてすべきではない。信頼は、どんなに堅い信頼であっても、一旦、疑心暗鬼に駆られれば、その信頼を取りもどすには大変な努力と時間がかかる。取りもどせないまま子供の思考が固まれば、もう取りもどすことなどできはしない。
それどころか、親子の信頼にひびを入れることで、子供は、無条件に信じてもらえるはずの親から疑いの目で見られることになる。それで他人を信じられるだろうか。

国家が個人より多大な権力を持ち、その乱用がありがちなのは、不完全な人の社会では言うまでもない。子供の非行を、無力な親のせいにするのは、多大な権力を持つ社会のせいにするよりも、あまりにもたやすい。親を一様にけなし、親の努力を無にする社会で、子育てなどできるのだろうか。
その親の親をけなし、教育してきたのは、他ならぬ国家であることを忘れてはならない。たとえ政治家が代替わりしようとも、それをしたのは国家であり、そこに台頭する権力者なのだから。また、それを正すにも、いつの世にも多大な権力を持つ者が一番の適役であることも変わりはしない。
[ 2006.4.2 ]
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★一言★
生まれ落ちた社会に適応するように親や社会が躾けていく。人の集まるところ、必ずそれはなされている。それがなされないと、人は人として成熟できない。ただの野生の『ヒト』にしかならしかない。社会は人が生きやすいようにその有りようを変え続けているが、どう変わろうと、親や社会が子供を躾ける意義はそこにある。

親は『良かれ』と子に強いる。その『良かれ』は、はたして、誰のための『良かれ』か。それが子の人生に何をもたらすか。親は、我が子のために、他人以上に厳しく真実を見つめ、その善悪を認めなければならない。強いるなら、それに値する理由を、子に説くことができなければならない。それができない『良かれ』は子のためではありえない。
子供は大人の鏡。良いことも悪いことも真似る。この言葉がグサリとこない大人はまずいない。人が完璧を目指しても永遠の時が必要かもしれない。人は、大人だからって完璧なわけじゃない。それを真似る子供が真似るべきかどうかを正しく判断できるまで、大人は細心の注意を払う責任がある。人間なんてこんなものだと開き直るのは最低の見本。過ちを認めるのも潔さの見本と心得て、些細なことも重要なことも、気づけば速やかに正す義務がある。

人はお世辞でも褒められると嬉しいもの。厭味のない褒め上手は人を和ませ、人を内面から輝かせることができる。親は子を、教師は生徒を、上司は部下を、政治家は国民を。
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