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昔から使い古されたことわざなのに、時代の移り変わりにも変わることなく生き続けている。それほどいつの時代にも必要とされ、通用するからだろう。
人は貧しさゆえに幾ばくかの贈答もできない人を蔑み、礼儀知らずという。食べることも困難な人に見返りを望むのが礼節だろうか。万が一のための僅かな預金や命を削っての見返りを求めるのが礼節なのだろうか。
家のない人々を見て『怠け者』という。公園を『汚す』という。好き好んで不潔にする人がいるだろうか? 富裕な人の、その浅はかさを恥じない言動は、同じ人として恥ずかしくさえ思える。足りてこその物の豊かさ。その豊かさを分けあいたいという気持ちが贈答の基本ではないのか。金銭を伴う行為の御礼に、感謝では礼節に適わないのか。何かにつけ、不慣れな者や貧しい者には常に悩みの種でもある。悩んだ末に不適切な安価な贈答品を選んだときには、それを送られた相手の、そういうことに慣れた良い暮らしをしていないからだ、という軽蔑は隠しようがない。
何であれ寛容にはなれないものらしい。礼節をわきまえているならば何をさておいても・・・・、という要求が突きつけられる。礼節をわきまえないからそういう目にあうのだ、お前はそれほど程度の低い人間だというわけだ。余裕のない人に、礼儀をわきまえているという人が『礼儀もわきまえない』と言うのは、礼儀をわきまえているのだろうか。
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![]() お金をふんだんに使えば、礼節にケチをつけられることは滅多にない。『金銭的にゆとりがあれば、交際費をケチらなくてすむ。礼節をわきまえていられる。』『衣食もままならず生活が苦しければ、礼節に適った行動の取りようがない』のだから、金銭的なゆとりがなければ現実には礼節のわきまえようはない。
《衣食足りて礼節を知る》は、『衣食もままならず生活が苦しい者は、礼節を知ってはいても知っているようには見えない』という教えが隠されている。それをわきまえるかどうかで人の格も違ってくる。裕福さを鼻にかけた蔑みこそ、『衣食もままならず生活が苦しい者』に対して、礼節を全くわきまえていないのだから。 世間は、仕事がなくても病気でも、外見が健康に見えれば、簡単に怠け者と決めつける。家賃を滞納すると、福祉援助ではなく退去命令が出る。住所不定になれば公的援助の見込みさえ消える。仕事も住む家もなく、どうやって立ち直れというのか。
かの諸葛孔明が似たようなことを言ったらしい。一揆を防ぐには住居と仕事を与えればいい。ごもっとも。真に立ち直る努力をさせたいのなら、雨風を凌ぎ体を清潔にし安らげる住居と仕事を与えればいい。
外面ばかり良くても、自国の飢えた国民を救えないなら、国は続いてはいかない。暮らしが安定すれば、人の心にはゆとりができる。物事に気を配る余裕も徐々に出てくる。それが、《衣食足りて礼節を知る》につながる。貧しさを見下すならば、それからでなければおかしい。
同じ信仰を持っていてさえ、同様の生活をしていてさえ、家族という単位でさえ、その中で往々にして差別がある。そんな中で真の礼節を望むのは水の中の月を掬うようなものだろうか。
[ 2006.5.13 ]
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